私の名を名乗る者
✝ルカ 21章8節 2017新改訳
イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れて、『私こそ、その者だ』とか『時は近づいた』とか言います。そんな人たちの後について行ってはいけません。
弟子たちは終末のしるしをイエス様に聞きましたが、兆候は21章で語られた通りです。しかしその時がいつなのか、日時を決めるような決定的なことは天使たちも、主ご自身でさえも知らないと語られているのです。
さて終末が近づくと戦争や社会不安、飢饉や疫病、天変地異などが起こり、これらに乗じてキリスト教の異端が勢いを増してきます。主が語られたように、偽キリストが現れてくるのです。本日は安倍元総理が暗殺されて一週間余り、この歴史的事件の背景、旧統一原理との関わりが徐々に明らかになってきました。この国では私たちも一括りにキリスト教として同一視されかねません。きちんとした把握と対応をしておく必要を迫られてのメッセージいたします。
事件の詳しい背景を省きますが、要するに容疑者の母親を狂わせた旧統一原理への恨みが暗殺の原因でした。この教団に関しては四、五十年前から国会でも問題になっており、韓国のこの教団は、特に日本を韓国本部への貢物の国として信者から資金を吸い上げる役割を持たせています。すべてのお金を献金するだけでなく、借金までして、当然自己破産までして献金することが多いのです。そのために山上容疑者の家族は経済が困窮し、教団に恨みを持ち、それを晴らすため、わずかな接点でしかなかった安倍元総理を殺害する意図を持ったのでした。
このカルト教団は名前を変え、勧誘に際しても正体を隠して行い、現在まで生き残っていたことも驚きですが、私たちにおける「十分の一献金」や「すべてを捧げる」、あるいは霊の戦いなどの「霊的対応」など、聖書もキリスト教も知らない一般の人から見たら、たぶんに「どこが違うの?」と誤解されることでしょう。もちろん全然異なるのですが、そのことを詳しく説明しても、私の体験では納得していただくことは困難です。
なぜなら信仰は信じることから始まりますので、信じていない人にとって、言えば言うほど自己弁解に聞こえてしまうようです。本物を知らない人が、本物を見分けることは困難なのです。
ではどうすれば良いのか?それは私たち真の信者が<実>を実らせたキリストの証人としての使命を果たすことです。元々私たちは救われるべき何らかの価値を有し、優れて力があり、見分ける目があったので、クリスチャンになったのではありません。そうではなく「世界の基が据えられる前からー中略ーみこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」(エペソ1:4)のですから、私たちの内に住まわれる聖霊様の力と恵が流されるよう無私になって聞き従い、聖霊様の愛と真心、謙遜による実を豊かに証して行くことしか希望はないのです。
どうかそのことを祈り、求めてまいりましょう。これは御心ですから、祈りは必ず成就するのです。
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