求めなさい。そうすれば与えられる
✝ルカ 11章9節13節 新改訳2017
ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。
ルカ11章9節のこのみことばは、「とにかく神に祈って求めれば、叶えられる」と受け取られがちです。しかし祈っても確実に答えられているわけではないようで、失礼ですが人によっては、強迫観念とか願掛けやお百度参りの部類に近いのかもしれません。
確かに私たちに祈る必要は多く、祈ることは大切です。祈りにいのちを見出し、クリスチャン生活の恵み、醍醐味の一つです。まさに「祈ってナンボ」とすら言えるでしょう。この機会に祈りについて、叶えられる祈りとそうでない祈り、今一度みことばから考えてみましょう。
見落としてはならないのに、この9節の少し後の13節に、このようなことばがあることです。
ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。
ここで神が求める者への与えてくださるもの、それは実際に必要なパンや魚よりも、聖霊だと言われています。聖霊、それは必須で最良のものなのです。それはまるで「(聖霊を)求めなさい。そうすれば与えられます。(聖霊を)探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば(聖霊が)開かれます。(同9−10節)」と言われているようです。
わたしたちは普段、自他の病いの癒やしや物質的必要、家族や人間関係等での必要に迫られて祈ります。もちろんそれらは必要なことで、わたしたちは神に解決の希望を持ち、期待します。しかし見ようによっては、すべてのことが神に許されて起こる出来事のはずなので、すべて感謝し受け入れているはず‥‥にも関わらず、それでも現状の変更を求めて祈る‥‥明らかに矛盾しています。つまりこのような祈りは肉的な祈りであって、神に聞かれるとか、答えていただけると思ってはなりません。しかし時には神のあわれみによって、時に叶うケースもあるでしょうが。
聖書ではこのただみこころだけが成ることを次のように言っています。神は、罪人たちの言うことはお聞きになりませんが、神を敬い、神のみこころを行う者がいれば、その人の言うことはお聞きくださいます。(ヨハネの福音9:31) また次のみことばもあります。何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださる(1ヨハネ5章14節)
どうして祈りが叶えられないのでしょうか。それはみこころを知ることもなく肉的な祈りをし、神を自分の欲求実現のための召使いにしているためです。みこころは、ご聖霊様を通して知る意外に術はありません。それゆえに神は私たちに聖霊様を求めなさい、聖霊を探しなさいと求める者に聖霊様を贈ろうとしておられるのです。聖霊が私の主となるその満たし、バプテスマを受け、みこころを知るならば、自分の願いや欲求など、実に取るに足りないことであることがわかるのです。
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