神の国はどこに
✝ルカ17:20~21 2017新改訳
パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。
『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。
「神の国はあなたがたのただ中にある」とありますが、そう聖書で語られて、単純に喜んでいるか、何だかよく分からないでキョトンとしている、そんな人たちが多いのではないでしょうか。先週私はルカ11:9での有名な「求めなさい、そうすれば与えられます」を次のようにお話ししました。「(聖霊を)求めなさい」であると。
神に祈る時、多くの方は七夕の短冊や神社でお賽銭をあげての願掛けの類に近い祈りをしていらっしゃるようです。それはそれまでの経験上、<祈りが神に答えられた>ことはない現実があって、その確信など持ちようがないためではないでしょうか。別に親族や仕事上の祈りをしてはいけない、と申し上げてはいません。ただそれらは、私たちの弱さから来る肉的な祈りです。
もし私たちが神のみこころを祈るならば、それは必ず成就します。神に不可能はないからです。しかし多くの方は神のみこころではなく、自分の必要、希望、欲求を祈ってしまうのです。それでは、よほどの神のあわれみで聞かれる、稀なケースでしかあり得ないでしょう。
私たちはどんなことでも感謝します。私たちが祈る肉的なさまざまなことは、神が許されて存在していることです。ですから個々人に問題を許されている、その背後にある神のみこころを知らずに肉的な祈りをすることは、見ようによっては、神の計画に背いていると言えます。
それでは私たちは如何にして、神のみこころを知ることができるのでしょうか。神のみこころは、同じ神である聖霊を通して意外、私たちは知る術がありません。それ故にルカ11:13で祈りに対してオンリーワンの答え「天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます」と述べてあるわけです。聖霊様を与えてくださること、これこそがみこころを知る唯一の方法であり、みこころを行って私たちが天に宝を積む道です。
ですから皆さん、聖霊を求めましょう。聖霊の満たし、バプテスマが必須です。新生した心は、もはや自分の願いや求めを祈ることは後回しで、ただただ愛する主のみこころの成就を祈り求めるのです。
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