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2022年9月11日 (日)

神の奴隷

ローマ 6章22節   新改訳2017

しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。

 人は自覚しようがしていまいが、生来人は罪の奴隷である(※原罪とも言う)。ただ、キリストを信じ、罪の奴隷から、神の奴隷に替えていただける場合がある。もちろんそれは新主人となる神の意向次第なのだが、最後に買われていく奴隷側にも受諾の意思を確認される機会がある。それが信仰告白なのだ。多くのクリスチャンが勘違いしているかも知れないが、罪の奴隷から解放され、自由となって晴れて好きなように自分が生きていく、そんなことはあり得ない。確かに聖書ガラテヤ5章には「自由を得させるために」とありますが、それは主にある自由であって、「堅く(※信仰に)立って、再び奴隷のくびきを負わされないように」とある通りである。

 ひと昔前の奴隷時代、奴隷はその主人によって人生のすべてが大きく左右されていた。良い主人にであるならば、たとえ奴隷から解放される機会があったとしても、生きていく手段を持たなければ、生涯を奴隷として生きる選択をする者も多かったようだ。家族が居ればなおさらである。罪の奴隷から神とキリストの奴隷へと替わることは、ただ買い取られて持ち主が変わるだけでなく、あり得ない恵み、主人の嗣子(跡取りの養子)にと劇的な変化が伴う。さらに驚くべきことに、この主人キリストは、私を買い取るために自らを差し出し、贖(あがな)いの十字架に架かって苦しみの極みで死んでくださったのだ。キリストにあがなわれて、神のものとなった私たちは、罪の奴隷から解放されて自由になった心で、今度はキリストに自分を感謝し、キリストを愛し、すすんで自分を捧げる決心をし、その御心を行う忠実なしもべ奴隷として新たに生きるようになった存在である。これを新生という。ただ、これには三位一体のもう一つの神、聖霊体験が伴わないと実際的な効力が伴わない。

聖書でパウロはローマ1章1節、テトス1章1節で、またヤコブも1章1節で、bondservant(希doulas)と言う、奴隷という言葉を使っている。この言葉を使うからには、彼らも又、以前は罪の奴隷であったことを意識していたことが分かる。罪奴隷である意識が無いところに福音も悔い改めも届かず、新しい主人を歓迎し、その奴隷にすすんでなる気にはならないだろう。罪の意識は、その人に神があらかじめ<聖>を入れておいてくださるからこそ、自分の闇である<罪>が分かるのだ(ローマ8章30)。その意味で私たちは選ばれた存在であり、神に感謝を捧げ、自分たちを誇ることはできない。すべていのちある者は主を賛美せよ!

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