You are A Warrior
✝ローマ 7章23節 2017新改訳
私のからだには異なる律法があって、それが私の心の律法に対して戦いを挑み、私を、からだにある罪の律法のうちにとりこにしていることが分かるのです。
Warriorとは戦士の意味です。日本語の武士とか兵隊より、また軍人の意味に近いSoldierよりも、今回の意図に近い言葉になります。
なぜWarriorなのでしょうか?それは私たちクリスチャンは絶えず困難な戦いの中に置かれているからです。ローマ人への手紙 7章23節にあるように、肉体という罪の律法が私たちを虜にしているのに対して、聖書と聖霊による義の律法があり、この両者はクリスチャンである私の中で、常に激しい戦いを続けているからです。
この戦いについて、若い時には、からだが衰える老境に入れば勝負はつくと思っていました。しかしそれは誤りでした。また、歴戦の勇士のように経験が増し加われば、た易く勝利するようになるとも思っていましたが、それも誤りでした。さらに聖霊のバプテスマを受けた直後のように、聖霊に満たされ続けて行けば楽勝だと思っていましたが、その聖霊は完全にではありませんが減衰し、戦いはかえって激しいものとなっているのでした。それは聖が引き上げられると、それまで気がつかなった悪と罪の意識も深まり、その闇もかえって深まるのでした。
この戦いは主の霊を注がれた戦士がするものです。それ以外のクリスチャンは、聖書によって罪の状態が分かっていても、戦う術を知らず、自分が虜になっていることすら認識できていないことが多いので、本格的な戦いにはなりません。
真の戦士は自分の弱さを試練によって徹底的に知らされているので、戦う意志はあっても、神により頼んでいます。Majesty(陛下)である神の指図に従って、その勇士、戦士として戦います。実際、これが最善な勝利、主の栄光を結果としてもたらすことを知っているのです。
このように戦士となるには、聖霊のバプテスマの前後に、神から厳しい試練という訓練を受け、自分に死に、神に生きることを得ていることが前提になります。また戦士は世の賞賛を受けることなく、時に一見惨めに見えるラザロであったり、殉教の血を流しています。しかし戦士は目を天に向け続けており、天の報い、霊的な勝利者となっているのです。この世の目で判断してはいけません。
この戦いの真の敵は誰でしょうか?それは肉なる自分自身です。自分自身に死に、神の所有とされた戦士には、敗北はあり得ないのです。戦いは既に終わっていると言っても過言ではありません。
« 世に打ち勝つ信仰 | トップページ | 神の奴隷 »
「信仰」カテゴリの記事
- 狭き門より入れ(2024.07.07)
- 恐れるな(2024.01.14)
- キリストに望みをおく者(2023.12.24)
- 主は今生きておられる(2023.09.03)
- 恐れるな(2023.08.27)
« 世に打ち勝つ信仰 | トップページ | 神の奴隷 »
コメント