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2022年10月16日 (日)

もっと光を

黙示録21章22~26節  2017新改訳

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。

 21章22節~25節からわかる事は、天から降った神の都では、神は光そのものであることです。これは私たちが「光の子ども」(エペソ5:8)だとされている裏付けでもあります。 

今週のある日、急いで仕事に行こうとした時、私的には軽い失敗をしました。黒いズボンに黒のソックスを選んだつもりだったのですが、職場に行って気づきました。ソックスのまま仕事をする職場だったのですが、ソックスが黒ではなくて、紺色だったのです。私的にはどうにもチグハグで合わなくて、気に入らないこと甚だしい。家でソックスが入っている棚はちょっと暗くて、紺も黒も同じに見えていたのです。

 暗くてよく見えないと、見誤って判断しがちです。これは信仰の面でも例外ではありません。光が信仰の中心なのです。クリスチャンの子どもたちは、光なので正しくないことを受容できず、世の闇の子どもたちの妬みの反発をかうのです。
 ところで私たちの神は光であり、わたしたちは光の子ども(エペソ人5:8)です。しかしクリスチャンと言いつつ、もし私たちの心に大きな闇があるのであれば、大きな問題です。その人には十字架の光が届いていません。つまり赦されていない罪が大きく残っているのです。サタンはその罪を大きく突いて再び支配しようとします。その多くの場合、肉のクリスチャンだと言ってもいいでしょう。

 ここでの闇とは心の傷であったり、大失敗や封印した過去の思い出したくない出来事だったりします。また、いじめを見ても見ぬふりをしたり、事実を言えば不利益になるため、自分を守ったりした数々のことを指します。そのようなことのすべては裁きの日に明らかにされるのですが、悔い改め、十字架の赦しの特権を行使しないのは不思議です。それは光が当てられず、己が闇で覆われていることにすら気づかさせなくさせられているからです。これは大変重要なことです。

 神を信じる者には聖霊が内住されています。しかし本当に聖霊さまが居られるのなら、その人の内に光が当てられて、闇が照らされ、もはや自分自身には希望がないことから、全ての罪を告白し己を神に燔祭の生贄として、自分を捧げることに戸惑いはないはずです。神はあわれみ深い方で、その献身を必ず受け入れてくださるのです。つまり自分に死ぬ=自身の解放であり、次のようなことが起こってきます。
本当に生かされていること、その喜びが溢れる。キリストの大使としての使命があり、生きる目的があること。これら人生を一変させるこれらのことが起こることを、<新生>といい、全て聖霊さまの働きの結果です。
 さあ、あなたも「もっと光を」受けて、神様の子どもになられませんか。

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