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2022年12月 4日 (日)

万能の存在の目的

ヘブル 2章10節   2017新改訳

多くの子たちを栄光に導くために、彼らの救いの創始者を多くの苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の存在の目的であり、また原因でもある神に、ふさわしいことであったのです。

 ヘブル書2章10節の「万物の創造の目的」とは、神がキリストの十字架とその救いを実現するため、全世界、宇宙すべての万物を創造されたと私は理解する。神には救いによる聖徒たちと共に、来るべき新宇宙、天の御国創造の計画があるはずである。
 私たち人間は、自分の力で真の信仰・・・自分の命より神を、永遠のいのちを選べる力がある・・と思ってはならない。その実例として、イスラエルの民との2千年にわたる旧約の歴史がある。神がエジプトで為された十の災い、海を分けての大脱出、さらにシナイの荒野で毎日マナやうずら。岩を割っての水。またアマレク人と戦い。このような神の威光と恵みの奇跡を日々体験しても、イスラエルはカナンの占領にあたっては神を信じず、つまづいた。
 これらのことから、神を信じるとはどういうことかを示している。それは自分の判断ではなく、神の言葉に命をかけて聞き従うということである。私たちの群れの年間主題「あなたがたは向きを変え、葦の海の道を通って荒野に向かって旅立て」も同様である。主が示された方向に向きを変え、委ね信じて歩み出さなければならない。

 <信じる>ということは人間同士の友情でも言えるが、信じるならば<委ねる>こともできるはずである。それはスポーツでも、仕事でも、あるいは人生の大事な決断においても同じ。特に<神を信じる>信仰においては、条件無しに信じること、自分を委ねることが信じたことになる。ユダヤ人は自分たちの見方、判断を神の約束の上に置いた。それで四十年間荒野をさまようことになった。これはどんなに時代が下がってキリストの時代から今日に至るまで、ユダヤ人は神に自分を委ね、信じることができないでいるのは変わらない。
 ーすべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず【ロマ 3:23】ー
とある通り、罪人どんなに努力しても義とされないばかりか、偽善に落ちいるばかりである。神の子イエス・キリストが地上に来られ、十字架によって罪の力を打ち砕き、信じる者をその縄目から解放してくださった恵みは、計り知れない恵みである。

 本年度のみ言葉によって、私たちは真に「信じる」という信仰にもう一度立ち返り、「向きを変え」て旅立たなければならない。それは自分の力ではなく、全面的に神に自分を明け渡し、委ね、信頼することである。そうすれば約束の地、リバイバルを私たちは占領できる。そこには私たちがこれまで見たことない景色がそある。私たちはこれまでに多くの奇跡やわざを見てきた。それらを見ても信じることができなかったイスラエルの民ではなく、信じ、踏み出せる民となろう。
 万物が創造され、それが存在する目的とは、私たち人間が救われ、聖とされ、神の最終的な目標である天のエルサレムに入れられ、神と親しく交わり、崇め賛美し、神と共に永遠に生きるためだ。その一翼として私たちは用いられて行くのだから。

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