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2022年12月18日 (日)

彼の打ち傷によって

イザヤ 53章5節   新改訳第3版
 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

ことが多いと思われる。しかしキリストへの打ち傷が私たちの癒やしに、どうしてなるのかわからずに祈っている方も多い。<キリストへの懲らしめの鞭、それが私の癒やしになった>意味を、クリスマスまでの数日間をかけ、学んで行きましょう。

 まず天の高き御坐に居られ、多くの天使たちと軍勢に囲まれておられたイエス様が、滅ぶべき被造物の世界に受肉されなければならなかったかについてです。はっきりわかること、これは創造以来の神の計画であり、必然であったことです。神は人を造られましたが、人が罪を犯すことをも予期しておられました。そうでなければ、これだけの広大無辺な宇宙世界の創造は不要でした。
 またアブラハムから始まったイスラエル民族は、キリストの必然性を民族単位で証明するものでした。見えるものしか信じない人間の罪性は、偶像崇拝の罪の土台です。しかしこの偶像崇拝を断ち切るために、イスラエルを打ち、捕囚の民とし、国と神殿を失わせました。信仰の拠り所としての見える神殿を失った反面、民は律法という、救いに至る素晴らしい道に気づかさせられたのです。イスラエルの民は各地におけるシナゴーク(会堂)で律法に聞き従う民となりました。イスラエルの民は偶像崇拝の罪から脱することができたのです。

 ところがイスラエルはまたもやつまずいてしまいました。それも根本的なところでつまずいたのです。律法は福音書でも分かるように<神と隣人への愛>が主題です。しかし律法はその神の御心から離れ、文言を細かく規定し、表面的にそれをなぞるものだけとなったのです。いわゆる形骸化です。ここに至っては神の愛を実際的な形で教えて示し、人間の罪性を神の愛<=罪の身代わり>神ご自身が引き受けられ、赦し、もはや人の力ではなく、神の力(聖霊)で変えられるしかなかったのです。

 従ってこのイザヤ書53章の「打ち傷」による「癒やし」とは、私たち人間が神によって罪が赦され、内住される聖霊様によって御心がわかり、神を心から愛する信仰に至る、つまり神との正しい関係に直されることが<癒やし>であるのです。それが人間にとっての真の癒やしであり、救いなのです。その結果として体の癒やしもあることでしょう。しかし肉体が癒やされても霊と心が癒やされていなくては、その肉体の癒やしはただの時間稼ぎのメリットでしかありません。ここでの<癒やし>とは神を愛する者に変えられるということです。

アーメンでしょうか。

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