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2023年1月 1日 (日)

信じる人々に伴うしるし

マルコ 16章17~18節   2017新改訳

 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、
その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。

☆はじめに〜すべてのことについて土台となる事柄があります。サタンは己を良い者とだまし偽らせます。しかし人が自身の罪深さに気づいたなら、その人は神に近いと言えます。クリスチャンとは罪の奈落の底から、十字架の神の愛によって救われた人のことです。バプテスマのヨハネは「悔い改めなさい、天の御国が近づいたから」と言いましたが、罪がわからずして悔い改めることができず、救いもありません。

🔖「わたしの名によって悪霊を追い出し」→これは悪霊の支配からクリスチャンは解放されるということです。
サタンに従う悪霊は、人に対して己の罪深い真実から目を背けさせようとしますが、救いの神を信じ義とされた人は、これを見破り、戦って勝利する力が与えられます。不安や恐れ、自己欲との戦いは血肉の命がある間中、絶え間なく続きます。しかし勝利後の解放された喜びは、悪霊に対する怒りと、真に生きていると実感できる喜びです。

🔖「新しいことばで語る」→確かに聖書を読んでも、信じる前後ではまったく分かりが違ってきます。聖書の一つ一つの御言葉が神のことばであることがわかるのです。み言葉に命があり、自分に語りかけてくることが分かります。「アーメン」にこもる心が違ってきます。そして信じたあなたが神を関して語れば、聞く人には「別人の新しいことば」として伝播し、わかるのです。

🔖「その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず」→パウロの例を見るなら、蛇とはマムシのような毒蛇でしょうし、毒とはトリカブトのようなものでしょうか?しかし仮に殉教に終わったとしても、即天国直行ですから神の栄光です。生も死も御心の結果であって、すべて神の最善の実です。ただ一つ、自分の意思で同じ事をして神を試してはいけません。

🔖「病人に手を置けば癒やされます」→これは私たち自身が、自分の体でまず体験しているのではないでしょうか。神に癒やしを求め、ただ単に体が直っただけなら、実は何の意味もないどころか、御心を無にしています。そうではなく、癒やしがその人を悔い改めや神への心からの感謝に向かわせ、信仰を堅くさせたのであれば、真に癒やされたと言うべきでしょう。クリスチャン病は許された病であって、すべて神の計画、御心の故なのですから。

 以上、聖書を神の言葉として信じる方にとって、この聖書箇所は信仰のチャンレンジそのものです。果たして自分に「しるし」があるだろうか? ではなぜ自分にないのだろうか? 本日の解き明かしが参考になれば幸いです。 

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