何のために生きている?
✝Ⅰペテロ 4章2節 2017新改訳
それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。
「あなたには生きる目標があって生きていますか?」とカリスマ派の教会員に問うなら、ペテロ4章2節からの「神のみこころを生きるため」と即答される方が多いことでしょう。しかしさらに重ねて、「ではあなたへの神のみこころは何でしょうか」と問いますと、これには何人の方が答えられるでしょうか。各個人への純粋に神から示されての召しのことを聞いています。
自分への神のみこころを知らないで、「みこころに生きる」と答えても、それは御題目ということになるでしょう。神は皆さんひとり一人に、異なるみこころをお持ちのはずです。今日ここで取り上げたいのはその中で、みこころの共通する部分です。
私が示されていること ➡︎神は私たちが意思も感情も必要とせず、ただ命令されたことだけを忠実に行なわせるためだけにお造りになったわけでは決してありません。「聞き従い」とか「しもべ」のイメージが強いのかも知れませんが、そんなことならロボットで良いではありませんか。いや、それよりもっと良い働き手である忠実な天使たちがいます。天地万物を創造し膨大な時間と手間暇かけて、人間なんかを創られる必要なんかないのです。
では、どういうことでしょうか?人は罪を犯すまでは、たとえ血肉のからだを持っていても滅ぶ存在ではありませんでした。もちろん神は罪を犯すことは予知されていました。キリストは第二のアダムであり、罪の故にアダムが失った御霊のからだを回復させるための神の形でした。十字架を信じる者の罪を赦し、聖霊を送り、時がくれば御霊のからだになると言う、エデンの園を再来させる壮大な神の計画でした。
次に私たちはいつまでも、神の僕(しもべ)ではありません。確かに子としてくださる神に、全ての栄光を神に帰す訓練を受ける期間はあります。しかし神は私たちを愛していてくださり、子として私たちを遇してくださり、私たち人間の個性と意思を尊重してくださる方です。私たちが喜ぶことを喜んでくださいます。最終的に天国では、完全な自由があり、私たち一人一人の個性が神の栄光を讃え、礼拝するために生かされ、用いられていくはずです。つまり最初のエデンの園では果たし得なかった、数多くの自由意志を持った聖徒たちと共にある楽園が完成する時、それは千年王国の終わりに来るがやがて来る進展新地、天国のはずです。
このように神のみこころの理解をしていますので、これは私の妄想かもしれませんが、神のみこころの土台となる共通事項として以上を申し上げました。この上に一人一人の召しが合わさって、神の国、天のエルサレムが降臨して来るはずでしょう。
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