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2023年2月19日 (日)

貧しい人

マタイ 5章3節  2017新改訳

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

 これは私の記憶に残るマザーテレサの言葉です。「カルカッタの街に、八人の子を抱えてお腹を空かしている家族がいたので、お弁当を作ってもって行ったところ、その母親は押し戴いて喜んだ後、すぐどこかへ出て行きました。やがて戻ってきた母親は、『実は隣の家族も、このところ食うや食わずの毎日だったので、半分あげてきました』と言う話です。

 マザーは、この話をしてから、「貧しく飢えを経験した人には、他人の苦しみもわかるので、偉大な愛の存在です」と言われました。豊かな人々は貯め込み、惜しみます。しかし貧しい人は分け合い、惜しみなく与える、受ける喜びを知っているので、はるかに優っているのです。真の豊かさとは、このように、独占するのではなく、他人に与える心をもっている心を指すことに私も同感します。
 ハイディ・ベイカーも「多くの場合、貧しい人は与えてことはすぐに忘れ、受け取ったことは決して忘れない。貧しい人々は、単純に与えることを知っている点で、本当は富んでいる」と言っています。

 イエス様もマタイの5章3節、あの有名な山上の垂訓の冒頭「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」と語られました。
これはBlessed are the poor in spiritという霊的な貧しさ(=飢え渇き)という意味である。私はこの御言葉に接すると、<罪>意識が有るか無いかの大きな違い、それは神の選びと言ってもよいものであることを思う。すなわち、己の罪がわからなければ、救いを求める気持ちにならないし、悔い改めて救いの恵みを受けることができないからである。それゆえに貧しさ(poor in sprit)の幸いは絶大である。

 なまじっか金持ちであると、分け合い、与えることができない。寂しく孤立した人生、そのような意味で同じ<貧しさ>という言葉を使っても、真逆な意味なので明確に区別して受け取らねばならない。私たちが神に触れた体験を持つと、豊かさや財が肉の思い煩いとなり、またそのしがらみとして、天への霊的な妨害となり、敵対するものとしてわかるようになる。だから一刻も早く捨てなければと思うようになる。そして真の豊かさを得ようとするのである。このように貧しい人は、絶大な神の愛によってあらゆる面で実際には富んでいるのである。

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