信仰の戦い
✝Ⅰテモテ 6章12節 新改訳2017
信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、多くの証人たちの前ですばらしい告白をしました。
私たちは肉と骨だけでできている存在ではありません。スポーツでもウクライナでの戦いでも実証されているように、正義と意思、心が実際には真のポイントです。人間はその霊・たましいで生きている存在なのです。そしてそれは血肉で表すことができないのと同じように、血肉が消滅しても存在します。ただ別の、二つに別れた永遠の世界に舞台を移して生き続けて行くのです。
本日皆さんと分かち合いたいと願っていることは、ありのままの姿を確かめ、共に良い選択をし、そしてそれを妨げようとする闇の力に打ち勝って栄冠を得ることです。
みなさん、自分を受け入れられない、愛せない人がいるのはなぜでしょうか? きっと要求水準が高く、ありのままの自分ではダメなのでしょう。子どもの時から勉強を「がんばれ、がんばれ。現状で満足するな、努力して引き上げろ」と金科玉条のように言われて育ったためでしょうか。しかし私は根本的には、その人たちは、親から愛されていたとしても、自分が愛されていると心から感じる経験が無かったのだと思います。私にも思い当たるので言っていますが、それは本人にとって不幸なことです。
この愛の欠乏感の解消は、疑いようもなく真に愛されること、それが本人に分かることでしか解消されることはない、そう私は思います。これは肉の両親にとってはその人なりのやり方を大転換するものですから、よほどの指導的オーソリティがついていなければ不可能です。可能であるのは、その絶対的なオーソリティ、つまりその者の創造者、神にしかできないことです。神にはそれができます。神は全知全能であり、すべての人間の肉の親にはるかに優る、真の創造者ですから。神は人間というものが、同じ人間の見方・評価・価値観を基準にしてでしか自分を推し量れなかったのに対し、根本的に異なった目的を持っておられるのです。
最近、自分の顔をアプリで好きなように変えて楽しむことから、最終的に整形にまで進んでしまうことが流行っているそうです。ありのままの自分を受け入れ、愛することができないようです。神の愛を知らず、自己中心の罪のただ中に居ると、私たちの魂・霊は惨めな状態になります。しかし神の愛、造られた方の意図、愛を知ったならそうではありません。
神は人を愛し、尊重されるからこそ、自由意志を与え、その中から真の愛に目覚めるよう期待してくださっています。ただそれだけでなく、十字架によってはっきりと愛を示してくださいました。私たちは十字架を我がためと気づき、信じることによって自分自身の罪、自己中心の生き方の誤り、人間基準の見方や価値観から解放され、神に愛されている自分から始めて、その愛に満たされてはじめてありのままの自分を愛せるようになるのです。それは信仰からの平安であり、幸せです。
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