ペンテコステ
✝使徒 2章1~4節 2017新改訳
五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。
✝使徒 2章1~4節
「ペンテコステ」
ペンテコステはどのようなものであったかを使徒2章は記しています。イエス・キリスト復活の日からちょうど50日目のことでした。その時、エルサレムで120人全員が聖霊に満たされ、直ぐに異言を語り出したと聖書は記しています。聖霊のバプテスマを受けたかどうかは、異言がバロメーターだと言われます。しかし、異言はれっきとした外国語でありました。「ラーラーラー」とかの意味の通らない繰り返しではなく、その聞く人が聞けば通じるのが異言です。聖書がそう言っています。
次にいくつか聖霊のバプテスマについて誤解がありますので、それをはっきりさせておきましょう。まず「エルサレムから離れないで」という指示があったのに、どうして弟子たちはガリラヤ湖周辺に行ったのか、と言うことです。これは単にこの指示が復活のイエス様が40日間居られた最後の頃に言われた指示だったはずで、何の問題もありません。
次に水と聖霊のバプテスマ問題ですが、これはイエス様も言及された「あなたがたは間もなく、(水ではなく)聖霊によるバプテスマを授けられる(使徒1章5節)」の約束の成就です。聖なる聖霊様は罪と同居ができません。それを可能にするために罪を赦す十字架を負われたのです。全ては聖霊のバプテスマを受けさせるためのものだったとも言えるでしょう。事実、ペテロたちはそれまででもイエスを信じていました。しかし聖霊のバプテスマは受けていなかったのです。そして教会は、聖霊のバプテスマを受けて誕生したのです。聖霊のバプテスマが教会の土台なのです。
熱心な伝道者でアポロがいましたが、彼は聖霊のバプテスマを受けていませんでした。従って彼が導いた人々も、パウロが会ってみると水のバプテスマしか受けていませんでした(使徒19章2~6節)。今日、水のバプテスマだけのクリスチャンが圧倒的な多数派になりました。しかし本来、教会は聖霊のバプテスマを受けたクリスチャンの集まりです。多くの教会で、水のバプテスマと聖霊のバプテスマは同じであるようなことを言っていますが、これは知らないからで別物です。
以上聖霊のバプテスマについて述べてきましたが、私自身の体験から申しますと、40歳の時、「聖霊のバプテスマ」という言葉を知って、天啓のように私は「これだ!」とわかり、狂ったように何としてでも受けようと、求め続けました。しかしどんな求めて探しても受けることができませんでした。10年経つとさすがに諦めるようになり、自暴自棄になり、罪100%に陥りかけました。惨めに信仰を失おうとしたある朝、突然に神のあわれみが降ったのです。
みなさん、自分の力では自分に死ぬことはできません。聖霊のバプテスマも神様の御心次第です。今あの十年は、神さまが肉的な私を刈り込んでくださった、産みと整えの苦しみの時であったことがわかります。それが絶対に必要だったことも、感謝を持ってわかります。みなさん、どうか諦めずに熱心に求めてください。しかし努力や熱心でも不可能です。神は求める者をご存知ですし、あなた以上にあなたを知られる神は、神の時タイミングでそれを与えてくださいます。