真の祝福
✝コロサイ 3章1-4節 2017新改訳
神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロと、兄弟テモテから、
コロサイにいる聖徒たち、キリストにある忠実な兄弟たちへ。私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたにありますように。
私たちは、あなたがたのことを祈るときにいつも、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。
キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛について聞いたからです。
世の人には、今のこの世にしか希望がありません。しかしこの世で生きることは、多くの煩いー食べることや健康など、血肉の体の必要や、社会という人間同士の関係に伴う困難なことなど、ー一つ一つが大変です。
しかし世の人たちにとっては、今のこの世がすべてであり、ここで終わりでこの先にある世界を知りません。ですからどんなに高齢になっても、八十歳や九十歳になっても、生き続けることに執着します。また若さだけが希望そのものですから、「おばあちゃん」と呼ばれることを拒否したりします。肉体は死んで滅びることが頭ではわかっていても、その事実を受け入れられないのです。
そういうわけで、「長寿数え歌」で喜寿では「命の七十七に迎えがきたら、せくな老の楽しみこれからだ」など、死は不吉なこととして考えないことにし、いつまでも避け続けるのです。
このように今の命が全て生き続けることだけが希望ですから、健康に関心が非常に高いのです。私はかなり前に、市が主催する健康体操に一度だけ参加したことがあるのですが、皆さん背筋をピンとはって、とにかく健康に良いことに努めていらっしゃる。私など姿勢が悪いと何やっても酷評され続けました。私から見れば、参加する皆さんが失礼ながら、ゾンビのような健康オタクに思え、二度と参加する気にはなりませんでした。
この世の人々と神を信じる私たちとは、決定的な違いがあります。それはいつも天を仰ぎ、天にいのちを見出し、そこに永遠のいのちと真の希望を見出しているからです。つまりこの世は仮の世、本番の生活は天にある天国人なのです。この世は私たちが神の御心を行って、天の国で誉を得るための使命を果たす場なのです。私たちは神イエスによっていのちを贖われ、買い取られて永遠のいのちに生きているのです。
神を信じる者の使命といっても、十人十色でしょうが、世での基準がクリスチャンに適用され、大きな働きをした人が大きな報いを得るとは限りません。タラントの喩えがあるように、ただ忠実に神からの使命を果たした者に、同じ報いが与えられるのです。ですから私たちは目を天にあげ、上にあるものをひたすら思いましょう。地にあるものを思ってはなりません。
神の計画を妨害するため、サタンは神を信じる者に狙いをつけています。目を天に向けさせまいと、肉の体と世への思い煩いや困難を、ひっきりなしに大きく取り上げさせ、刺激してきます。しかしそれに乗ってはいけません。キリストの命によって救われた私たちには、神への愛と感謝しか残っていないのですから。
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