「ルツ前田さん孤児院報告会」から
✝ 詩篇118篇22節 2017新改訳
家を建てる者たちが捨てた石それが要の石となった。
東京アンテオケ教会で行われたカンボジア孤児院報告会で、開設25年が経過したとのことだった。私も2004年8月にほぼ一ヶ月訪問したが、この時は開設からまだ6年しか経っていなかった。
20年にわたる内戦が、1993年のカンボジア国民議会選挙でようやく終わったのだが、この国におどろくほどの孤児が増えることになった。何しろ国民の2割近くが同国民同士が争って犠牲になったのだ。
2004年に私が訪れた時でも戦後十年ぐらい。戦争の爪痕はようやく整理されかけていても、メインストリートにバラックが多く、報告会の話にあったようにほとんどが二階屋であり、あちこち破壊された都市はアジアの最貧国に見えた。
それ以上に気になったのは、人々の目の鋭さ、あるいは貧しさである。街の辻々には、なぜか鋭い目をした青年や成人らしい若者が立っており、常に何かに警戒して目を光らせている。私は彼らの目を非常に意識して歩くことになった。また目に付いたのは道に磁石を転がし、鉄屑を探して歩く母子の姿。住宅街はどの家も高い塀で囲い、中を見せないように警戒していた。そうでなければ街のあちこちに丸太の柱を突き立て、五、六十センチもの土台の上に、吹きっ晒しのようなバラック建ての家も目立った。市場では男たちが昼間っからTVゲームに群らがっていたように、概して仕事にあぶれている感じだった。
私よりも5、6年前に来たルツ前田さんの時代は、さらに物騒だったのも分かる。ルツさんが到着し孤児院を始めて間もなく、近所を戦車が通り、銃声が聞こえたと言うから、おそらく街に潜入してくるポルポト派のゲリラに対し、軍の掃討作戦が行われたのだろうと思われる。そのような困難な時代だからこそ、ルツ前田さんが命の危険を感じても、預かった子ども達を守って踏みとどまられ、その使命を全うされたのはすごいことだと思わされる。
今回、孤児院の子供達が立派な社会人として、次々に巣立って行った報告を聞いた。大学を出て就職したり、中には結婚した子もいる。これらの子ども達は四半世紀の大きな収穫である。心から孤児院の働きと神を崇めた。彼らが神の証人としても用いられるよう、これからも祈り続けて行きたい。
(7月15日東京アンテオケ教会での報告会より)
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