備える信仰
✝Ⅱテサロニケ 2章3節 2017新改訳
どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。
✝マタイ 24章13節 (補足) しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
いきなりですが皆さん、「患難時代への信仰の備え」できていますか?
これまで「黙示録」「ダニエル70週の預言」などを学んできましたが、その中で大いに気になることがあります。それはみなさん、と言っては失礼になる方もいらっしゃるでしょうが、ご容赦願います。
杞憂に終わる心配ですが、知識としてどんなに学ばれても、単に知識や教養だけに終わっていては、いざその時が迫って来てからでは遅すぎると言えましょう。
マタイの24章48節以降では、悪いしもべとして、次のように述べられています。「しかし彼が悪いしもべで、『主人の帰りは遅くなる』と心の中で思い、仲間のしもべたちをたたき始め、酒飲みたちと食べたり飲んだりしているなら、そのしもべの主人は、予期していない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ報いを与えます。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです」
ですから今自分が「主の日は当分来ない」と思って、その備えを怠るなら、その日には「泣いて歯ぎしりする」ことになりかねません。「これは大変だ。このままではいけない」と危機意識というか、悔い改めてやがて来る次の時代に備えようとする心構えが大切なのです。もっと言えば、これは2000年前の使徒の時代から、私たちが常にアイデンティティーとして持ち続けなければならないことだと言えましょう。日本の有名な格言で、<泥棒を捕らえて縄をなう>ように、間に合わないのです。
私たちの目は常に天を仰いでいます。「主の日は当分来ないだろう」と勝手に決められるのはそれぞれの判断ですが、聖書はそのような事を言ってはいません。いつ主が来られても良いように、しもべとして与えられたタラントを用いて行くのです。勿論人によってはたった1タラントの人もいるでしょう。しかし1タラントでも、その1タラントを恐れずに用いて行くことで、10タラントの人と全く同じおほめにあずかるのです。
特に今の時代、ロシアがウクライナにする野蛮な戦争をし、地球規模で疫病や温暖化など気候変動が起こり、これらは時が近づいている兆候は確実です。礼拝、証、献金などの基本的なことはもとより、対抗心や自尊心を廃し、いつもこころに主に感謝する喜びの表情でおられることが大切です。
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