聖霊と悪霊
✝エペソ6章12節 2017
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。
精神の病は、代表的な統合失調症であれ、私がそばで見続けた摂食障害であれ、重症化すれば病識がないのが特徴である。この病識がないことで陽性症状と陰性症状を繰り返し、次第に重症化する。重症化すると深夜、自分に呼びかける声が聞こえたり、本人とは全く別な人格が見え隠れするのが特徴と言える。
医学では重症化すると患者を隔離病棟に入院させ、寛解(完治ではない)に向けて治療を行う。しかし退院すると再発率高く、完全治癒はあり得ない前提である。病の原因がわからず、対症療法であるためだと私は思う。
以上は精神科医が概略述べてくれたことだが、牧師としてこのような病状を聞くと、これは悪霊の働きだと見ることができる。悪霊に対し、神の霊でなければ追い出す事は不可能であって、治癒の可能性があるのがキリス教だけである。神の霊である聖霊のみが、取り憑いだ悪霊を追い出すことができ、精神の病を完全に癒やすことができるのだ。
聖書によると、今から2千年前のシドンで、イエス・キリストは「悪霊に憑かれた娘」を癒やされた。本人には病識がないので、この場合は母が信仰によってイエス様のもとへ来た。イエス様がイスラエルで起こされた癒やし、悪霊の追放は隣国にも聞こえていた。堅い信仰を持っていた異邦人の女は、イエス様から拒まれたり、小犬だと娘ともども貶められようと、全く怯まなかった。信仰による癒やしの確信があったからである。それゆえ女は、イスラエル人が聞いたこともないほどの最上級のほめことばにあずかり、望みの癒やしを受けることになった(マタイ15:28)。
次にマグダラのマリヤは、「七つの悪霊をイエスに追い出してもらった人」(マルコ16:9)であるが、癒された後には、イエスら使徒の群れを実質的に支える働きをしていたが、十字架の死の証人となり、最初に復活のイエスに会い、最初に声をかけていただく栄誉にあずかった女になった。
このように精神の病には世人に対し、悪霊の存在を明らかにし、悪霊をも用いて神の計画と栄光を明らかにされる。精神の病だからこそ、その原因である悪霊の追い出しによって、神の栄光と力の証人とされたのである。このことを主イエスは「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです」と言い表したのである(ヨハネ9:3)。
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