主は今生きておられる
✝黙示録 1章17~18節 2017新改訳
この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、
生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。
本日のテーマを英語で言えば「Because He lives」です。実は同名の英語讃美に数日来ハマっておりまして、頭の中にずっと流れ続けて止まらないのです。特にBecause He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is goneの歌詞(和訳:主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る)の くだりが繰り返され、会場の数千人の全聴衆が立ち上がって讃美する、その圧倒的な情景に、心から感動するのでした。
この讃美は、聖霊派なら誰でも知っていそうな、かなり有名な曲のようです。日本でこのようなことが起こったなら、「リバイバルが起こった」と感動することでしょう。
特に「主が生きておられるから‥明日に立ち向かえる‥全ての恐れは逃げ去る」に深く同感するのです。私がこれまでの人生経験から最も導き出されるのは、人の行動原理は<恐れ>だということです。むろん、かねて申し上げている通り、恐れはサタンから来ており、サタン・悪霊は恐れを支配の道具にしています。障害と精神の病は厳密には分離し難いところもありますが、以後のことは聖書から見ての見地です。 生まれつきの障害は「神の栄光」のため。逆に後天的な障害は幾分か本人の罪のせいであろうかと推察されます。しかしほとんどの精神の病については、ほぼほぼ悪霊の本質である<恐れ>が宿主に憑依した結果だというのが聖書的に見れば言えるでしょう。代表的な統合失調症など、実情は薬による寛解が治療の目的になるようです。寛解ですから治ることはあり得ません。治るのは主イエス・キリストを信じ、神の力による悪霊の追い出し以外にあり得ません。
つまり「全ての恐れは逃げ去る」こと、真の癒やしや解放は、悪霊に対し、唯一の勝利者、聖霊による追い出しと神の支配の確立だということです。ですから真のクリスチャンは恐れに聖霊に頼って対抗し、追い出し勝利を得るのです。その結果は神の愛、平安、喜びです。
繰り返しますが、十字架による罪の赦し、聖霊の支配によって私たちは<見えない闇の力が見え、見分けることができ、神の道を選ぶ=悪霊を追い出す>勝利を得ることができるのですから、真に神を信じていない人には、神の御心がわからず、肉のクリスチャンにあっては、いくら自分はクリスチャンだと称していても、持続的な平安はあり得ません。<肉の死>を超えて永遠のいのちへの確信も、残念ながら持てないのです。
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