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2023年10月

2023年10月29日 (日)

私は何をお返ししよう

マタイ 18章26節   2017新改訳

それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします』と言った。

マタイの18章21~35節で、イエス様がペテロの問い、「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」に対して七十回と答えられましたが、実は回数の問題ではないこと、「ゆるす」ことの真の意味を続けて語られたのです。
 それがこの、王に対し、一万タラントの負債をした家来のことです。家来ですから、当然クリスチャンで、立場としては神から相当の責任を任される牧師とか、会計執事のような人に相当するでしょう。ところがこの家来は主に対して忠実な者ではなく、能力はあっても私腹を肥やすような不正な者でした。数ある教会では、主の声を聞き、従うのではなく、自分が良かれと思う自分の思いと考えで牧会する牧師は多いと思われます。しかしそれは不正なのです。
 この家来の不正な額は、今の相場で言えば6千億円相当になり、途方もないものです。私にとって大金である百万円の何倍でしょうか?六万倍です。これを返すには家を処分し、家族を奴隷に売っても全然足りません。そこで彼は王様に泣きつき、許しを願ったので、あわれみ深い王にゆるされました。神のゆるしは1万タラントに象徴される途方もないゆるしです。

 普通でしたらこの裏切りに対して厳罰が当然です。教会に当てはめれば、神の権威を利用できる立場にある者が、実は自分の栄光や財を蓄積していたようなものでしょうか。しかし、あわれみを求められると、なんと神はゆるされるのです。ですから神のゆるしは、途方もないゆるしであることがわかります。

 しかし重要なことがこの後続きます。ゆるされた家来の帰り道、自分から百万円借りていた者を見つけ、返済を迫って牢屋に入れたのです。百万は王に許してもらった六千億の六万分の一です。あわれみのないこの家来に、王が怒って、先の許しは取り消されました。
 これは私たちが神のあわれみによって、どれほど赦されているか、またその恵みの故に、私たちも同じ罪人を決して恨まず、ゆるし続けなければいけないことを教えています。それどころか主は「あなたがたの敵を愛しなさい。あなたがたを憎む者たちに善を行いなさい。あなたがたを呪う者たちを祝福しなさい。(ルカ6章27~28節)」とさえ語られたのです。

 これは自分の罪が本当にわかっている人、または主から<わからされている人>なら、心から「アーメン」と言えることです。どうでしょうか皆さん、心の底から「アーメン(真摯にその通り)」と言える人こそ、神から愛され、あわれみが何であるかを体験された恵みの人ではないでしょうか。「主に何をお返ししようか」と思うなら、まず自分を赦された膨大な主の愛、また自分自身を始め、すべてをゆるし、そのただ中で主を賛美しましょう。<私は賛美の声を上げます!>

2023年10月22日 (日)

平和をつくる者

マタイ 5章9節  2017新改訳

 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

 「平和をつくる者」、この御言葉が今ほど心に響く事はありませんでした。これまでは3節の「心の貧しい者は幸いです」の印象が主にんっていて、平和は、今いちピンと来なかったのです。平和ボケしていたか、平和がよくわかっていなかったということでしょう。しかし、平和が失われつつある今の世界に、平和の尊さを強く感じるようになりました。

 ロシア軍によるブチャでの犯行とか、今回のハマスの残虐なテロ行為を知ると、憎しみや恐れ、高慢というものが人間の本質であると気付かされます。あらためてすべての人は罪人であり、自己中心的な存在であって、一皮剥けば人殺しなのです。三年以上にわたったコロナ禍や異常気象の猛暑、そして今進行している二つの戦争など、いったいこの先、世界はどうなってしまうのだろうかと思ってしまいます。
 その上に、身近にショックなできごとが二ヶ月前ありました。私たちは一つの御体、天の御国に行っても永遠に続く信仰の兄弟姉妹と思っていた姉妹たちを失ったのです。教会は痛手を受け、後始末に追われました。しかし今、新しい形での礼拝が始まり、ようやく一息ついたところです。

 そうしてみますと分かり始めたことは、失われたことに目を止めるのではなく、未来に目を向け続けることが大切であることでした。イエス様は次のように言っています。「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出て来ます。ー中略ーこれらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」マルコの福音書 7章20~23節
 自己中心というこれら人間の罪に対して、残された道は私たち一人一人が平和を造る者に、神の力によって変えていただくことです。平和をつくる人は、少なくとも自分自身の心に平和を築いていなければなりません。悔い改め、神に立ち返り、神によって生まれ変わること、そして平和の神の御心を行うようになること。確認しますが、これこそが私たちの道であり、依って立つ使命です。

 ヤコブの手紙 1章19節には次のように戒められています。
「私の愛する兄弟たち、このことをわきまえていなさい。人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。」
ここには二つの戒めが述べられています。

<1>すぐに人を裁かないで、柔和な人になりなさい。
<2>怒るに遅くなりなさい。
 柔和な人とか、すぐに怒らない人は天性のもののように思われていますが、実は神から愛され、神を愛する人は誰でもこれを実行するようになるのです。どうか主が私たちの信仰を増してくださり、この時代にあって「地の塩」「世の光」として用いてください。どうかリバイバルをこの地に起こし、私たちを平和をもたらす者として用いてくださいますように。

2023年10月15日 (日)

罪人の救い

マタイ 9章13節   2017新改訳

『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。

 一週間前、仮庵の祭り最終日から突如として始まった、ハマスの残虐な奇襲攻撃について触れざるを得ません。そのイスラム原理主義のハマスも、反撃しているユダヤ人も、実は私たちと同じ、同じ神を信じている一神教徒です。ハマスは極端なイスラム過激派武闘集団であって、PLOから武力でガザの支配を奪い取っているだけで、ガザの住民はむしろ被害者です。
 そのハマスはアルカイダやISと同じイスラム原理主義ですから、イスラエルと平和に暮らす考えは全くありません。巧みな宣伝工作はしても、目的は宿敵イスラエルを滅ぼし、世界をイスラム原理主義の支配に置くことです。彼らは創始者ムハンマドがジハード(聖戦)を行ってイスラム世界を広げた理念そのままを、今に再現しようとしているのです。

 さてこの度のような、ハマスが何千発ものミサイルなどを同時に打ち上げる大規模な攻撃ができるのは、北のヒズボラと同様に支援するイランがいるからです。つまりこれは、イランとの代理戦争の様相を呈しているのが現状でしょう。イランはシーア派、イスラム原理主義はスンニ派ですので、ちょっと奇異に思いますが、イスラエルや西欧世界は共通の敵なので、支援するのでしょう。
 今後についてはハマス支配下にあるガザの人々を思いを寄せ、地上戦において人々の犠牲が最小限で済むように、そしてイスラエルがイランとの全面戦争にならないように、私たちは祈らなければならないと思います。

 さて本日のテーマの通り、すべての人は罪人です。すべての人が罪を自覚し、悔い改め、聖書が証明する真の神、キリストの救いと平和を信じることが、たとえ不可能とも思えても、唯一の解決の道だと私は信じます。
 もちろんキリスト教においても、これまでに多くの過ちを犯してきました。しかしその原因は、王権を上回るほどに権力化した教会組織や、時の権力者との癒着、腐敗があり、その歴史からプロテスタント教会は一つの真実を学んできました。それは宗教と政治の分離です。歴史は貪欲な王や支配者王たちが宗教を利用してきた過去そのものでした。現在でも北朝鮮などでは、支配者はほぼ神さまになっています。唯一プロテスタント教会だけが当初は難しかったのですが、世俗の権力から分離し、政治非介入の原則を立てるようになりました。ですから政治にすり寄って行った統一原理が国による解散請求に至ったのは当然です。権力に歩み寄るのは世俗化した宗教です。

 私たちは、キリストの平和の成就には神の時と力、そして全世界的なリバイバルがあって実現することを知っています。平和には神の力、信仰による祈りが必要です。決して人間だけの力でしようとしてはいけないのです。ウクライナにしても、ガザにしても、真の神に捧げる聖徒の祈りを、主は用いてくださるのです。

2023年10月 8日 (日)

感謝の心

コロサイ 1章12節   2017新改訳

また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。
 感謝の心とはどういうことか。私たちの群れでは「悪いと思えることでも感謝」を特に推奨している。良かったことを感謝をするのは一般的だろうが、悪い出来事、状態を感謝するのは普通のことではない。しかしこれをことさら強調するのは、テサロニケ人への手紙 第一 5章18節にある、「すべてのことにおいて感謝しなさい」の「すべてのこと」の具体的実践であるからだ。つまり、御言葉をそのまま、生きた神のことばとして信じ行おうとする、信仰の現れでもある。
 一例を挙げれば、交通違反の切符を切られてしまって、落ち込んだり、自分の失態を嘆いてしまうより、神に感謝することは、どれほど素晴らしいことであろうか。逆にこれを胡散臭いと感じる向きもあるだろうが、その方は聖書と神の力を知らず、自分中心の力のない信仰に陥っているのかも知れない。

 そうは言っても群れの中には「かか、か、感謝します」と言葉は言っていようと、実態は全然感謝してない者もいるかも知れない。無理にでも感謝しなければいけないからするのであって、言葉だけのものかも知れない。が、それでも不満や悪態を吐くより、はるかに優れた対応である。
 感謝の信仰は優れて聖書的であり、それが真の感謝であったなら素晴らしいと言える。来たる終末の患難時代においては、この感謝の信仰なしには乗り切れないとさえ言われている。私たちはどんな悪いと思える状況にあっても、それは神が許されたことであり、十字架のイエスの死が神の大逆転勝利であったのと同じように、実際には最善な結果になることを信じている。

 本日私が示されていることは、この無理やり感謝する域を脱出することである。悪いと思えることを、私たちは信仰によって感謝する。聖霊(のバプテスマ)を受け、真に神と出会い、新生し、主と交わり続けておられる方々には、価値観のコペルニクス的反転が起こっているはずだ。この世や、今生きていること、今生かされていることなどは、やがて来る天での生活に比べればはるかに劣ることであって、取るに足りないことであることを実感している。

 では真に感謝する心とは何か?それは取るに足りない者とされたことへの感謝である。そこには自分の罪深さを一切弁解できないほどに徹底的に知らされていなかればならない。自分に死に、生まれ変わった者は、神の愛にすべてをささげている。抜き難い高慢、金銭への執着、少しでも自分を高めようとする罪性と常に戦っている。そして私たちには一人ずつに使命が与えられている。私たちのこの世での命は、その使命を果たすために用いられるのであって、自分の計画や願いによるものではない。それゆえ、人間的な思いで一喜一憂することは、たとえしたとしても、ランクが低いはずである。その上で、状況や環境が厳しくなるのであれば、それこそ「神の時」が近づいているしるしであって、私たちは大収穫の時が近づいていること、待ち望んだ使命を果たし、用いられることを喜ぶのである。

2023年10月 1日 (日)

神の言葉の力

使徒 12章24節   2017新改訳

主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。

 聖書に「神のことばはますます盛んになり、広まっていった。使徒の働き 12章24節」と、ありますが、その直前までは、エルサレムで誕生したばかりの教会は風前の灯火でした。パリサイ派やサンヒドリンの議会という、これまでにも対立していた勢力はもとより、ヘロデ・アグリッパ一世というその時代の王からも、迫害を受けることになったのです。

 この王はヨハネの兄のヤコブを殺しただけでなく、さらにペテロを捕らえてエルサレム教会を壊滅させようとしたのです。神の使いは使徒の代表ペテロは鎖に繋がれ、両脇にいた兵士だけでなく、二重の衛所と最後の鉄の門をも開かせて、ペテロを市中で解放しました。それは当時、異常な奇跡であったはずです。この後、これを企てたヘロデ王は、神に打たれて死にます。
 王という最大の迫害者が潰えたエルサレム教会は、「神のことばがますます盛んになり」とありますので、メシア預言の確かさ、十字架と復活の成就という、キリストの救いが人々に広まり、祭司まで加わるほど、教会は大きく発展することになりました。

 さて、神のことば、つまり福音は伝道の本質ですが、聞く人がいなくては語れません。イエス様が異邦人伝道されたレアなケースに、「スカルのサマリヤの女」があります。この時イエス様は、この女の過去を預言されました。おそらく本人にしか知らないはずの過去の事実だったのでしょう、女は直ちにイエス様が語られる福音のことばに耳を傾けたのです。

 このように、サマリヤの女などの異邦人が福音を聞く者になるためには、しるしや不思議は大きな力を持ちます。しかしどんなに大きな癒やしや奇跡を起こしても、神のことばである福音が、聞く人に良い地として根付かなければ意味がありません。

 最初に女の告白によってサマリヤの人々はイエス様の預言に引き寄せられたのですが、「さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた結果になりました。

彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方が本当に世の救い主だと分かったのです。ヨハネ 4章39~42節と、サマリヤの人々がしるしや不思議にではなく<ことばによって信じた>こと、それがイエス様の伝道の究極的な目的でした。神のことばの力によって真に信じた者は、本当に幸せでした。

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