平和をつくる者
✝マタイ 5章9節 2017新改訳
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
「平和をつくる者」、この御言葉が今ほど心に響く事はありませんでした。これまでは3節の「心の貧しい者は幸いです」の印象が主にんっていて、平和は、今いちピンと来なかったのです。平和ボケしていたか、平和がよくわかっていなかったということでしょう。しかし、平和が失われつつある今の世界に、平和の尊さを強く感じるようになりました。
ロシア軍によるブチャでの犯行とか、今回のハマスの残虐なテロ行為を知ると、憎しみや恐れ、高慢というものが人間の本質であると気付かされます。あらためてすべての人は罪人であり、自己中心的な存在であって、一皮剥けば人殺しなのです。三年以上にわたったコロナ禍や異常気象の猛暑、そして今進行している二つの戦争など、いったいこの先、世界はどうなってしまうのだろうかと思ってしまいます。
その上に、身近にショックなできごとが二ヶ月前ありました。私たちは一つの御体、天の御国に行っても永遠に続く信仰の兄弟姉妹と思っていた姉妹たちを失ったのです。教会は痛手を受け、後始末に追われました。しかし今、新しい形での礼拝が始まり、ようやく一息ついたところです。
そうしてみますと分かり始めたことは、失われたことに目を止めるのではなく、未来に目を向け続けることが大切であることでした。イエス様は次のように言っています。「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出て来ます。ー中略ーこれらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」マルコの福音書 7章20~23節
自己中心というこれら人間の罪に対して、残された道は私たち一人一人が平和を造る者に、神の力によって変えていただくことです。平和をつくる人は、少なくとも自分自身の心に平和を築いていなければなりません。悔い改め、神に立ち返り、神によって生まれ変わること、そして平和の神の御心を行うようになること。確認しますが、これこそが私たちの道であり、依って立つ使命です。
ヤコブの手紙 1章19節には次のように戒められています。
「私の愛する兄弟たち、このことをわきまえていなさい。人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。」
ここには二つの戒めが述べられています。
<1>すぐに人を裁かないで、柔和な人になりなさい。
<2>怒るに遅くなりなさい。
柔和な人とか、すぐに怒らない人は天性のもののように思われていますが、実は神から愛され、神を愛する人は誰でもこれを実行するようになるのです。どうか主が私たちの信仰を増してくださり、この時代にあって「地の塩」「世の光」として用いてください。どうかリバイバルをこの地に起こし、私たちを平和をもたらす者として用いてくださいますように。
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