十字架の愛
✝マタイ 11章11節 2017新改訳
まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。
今、イスラエルとハマスの戦いが地上戦という形で激化しています。時間が経つにつれ、イスラエルを非難する人が増えています。これまでにないフェイク情報合戦の結果、イスラエルを非難する国や人が増えています。クリスチャンにとってこれは看過できないことです。まずこれは、ハマスが残虐で非道な殺人と拉致から始まった戦いであるということを揺るがせないようにしましょう。その上でテロリストの犠牲となるガザの人々、その命が少しでも守られるように祈りましょう。
さて本日は「十字架の愛=ゆるす」というテーマです。解決策がどこにあるのだろうか、人間の罪深い争いの中、神はどのように人を見ておられ、どう解決の手を差し伸べられておられるのか、です。
2000年前キリストが来臨された当時のユダヤ社会は、イスラエル史上最高の信仰的社会でした。今のガザでの紛争とまるで逆です。しかしその結果は、神が看過できないほどパリサイ人やサドカイ人に代表される偽善の世界になっていました。人間の営み、努力では戦いの中はもちろん、非常に宗教的な世界にあっても、人が救われることは不可能であることを実証したのです。このタイミングで神の計画、神の子が地上に人となって来られました。
人間の絶望的な罪性に対する神の解決策は、神ご自身による贖い、つまり十字架による赦しでした。宇宙の創造者が被造物である人間のために、身代わりの子羊となられたのです。十分に全人類の罪を贖ってあまりある犠牲でした。
バプテスマのヨハネがイエス様が来られる前備えとして「悔い改めよ」と説きましたが、これは己の救い難い罪を自覚しなさい、そしてメシアに己が罪を告白し、赦されて生きなさいと言う意味です。従って自分を義とする者は罪が分からず、悔い改めることができないので救われません。
十字架の素晴らしさは、最高の預言者バプテスマのヨハネを凌駕します。それだけでなく、何よりも生きながらに、聖霊の神と共に生きることは、人間の罪性が清められ、根本的に変えられます。十字架の力は偉大です。悔い改める者の罪を拭い、きよめ、一度も罪を犯さなかった者に、天国人にふさわしく変えるからです。
イスラエルはこれから終末にかけて、一時は和平を楽しむことがあっても、第三神殿を建設しながら、最終的には世界中の軍に囲まれて絶滅の危機に陥ります。その時、悔い改めてメシアがすでに到来していたことに気づくのでしょう。ここに至って初めて十字架の恵みに気付くのです。みなさん、イスラエルのために祈りましょう。神は十字架によって、すべての人を愛しておられ、悔い改めて信じ、罪赦されて平和が訪れることを望んでおられるのです。世界の平和は究極的には今よりもっと悪い患難の時代の後に来ます。信仰によって現実の悪、罪深さに立ち向かいましょう。
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