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2023年12月10日 (日)

万人祭司

マタイ 16章18節   2017新改訳

ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
 マタイ16章18・19節の箇所は、カトリック教会にとっての生命線です。なぜなら、「わたしはこの岩(ペテロ)の上に、わたしの教会を建てます」の御言葉を適用して、教会の正当性と救いが、ペテロの後継者であるローマ教皇にあるとしているからです。

 しかしそれは一般の人が聖書を読めなかった時代はともかく、印刷技術が発展し、誰でも聖書が読めるようになった時点で、文の流れを読むなら誰でも分かるこじつけ(曲解)です。聖書を利用して、自らを絶対的な権威にしようとし、それは聖書の真理と十字架の神の御心をないがしろにする罪とすら思えます。
 この箇所をここまでの流れを読むなら、文脈上、弟子の代表であるペテロの「あなたは神」という信仰告白に対して語られたことばです。またイエス様はよく「岩の上に自分の家を建てた賢い人(マタイ7:24)」のように、信仰を岩にたとえられることが多いのです。さらに、終わりにイエス様が弟子たちに口封じをされたことからも、これは皆に語られたことであることは確かです。
 重要なことは、イエス様が福音書全体で語っていることから察して、これはペテロ個人だけに教会と天国の鍵を‥‥と受け取ることは無理があります。普通に自分に従う者全体に対して語られ、岩のような堅い信仰と告白の上に立つよう語られた‥‥ことに疑いの余地はありません。

 パウロは晩年にローマに到着して、ローマ教会の礎を築きましたが、その後ペテロが来たとは、聖書ではない外典・偽典や伝承として残っているだけです。ローマの教会の土台はパウロです。カトリックは本日の聖書箇所を基にして、伝承にもとづいて、神と人との仲介者(聖職者)の地位、人間でありながら、神に等しいほどの権力をぶんどろうとしたのであって、その根拠にしたのが唯一、本日の聖書箇所に過ぎません。
 百歩譲って、ペテロは確かに語られるのにふさわしい弟子でした。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は」のイエス様のことばに多くの弟子たちが離れ去っても、ペテロは揺らぎませんでした。ゲッセマネで、捕縛のために来た大祭司のしもべマルコスの耳を切り落としたのもペテロです。イエス様がガリラヤ湖においてもペテロに「わたしを愛するか」と問われ「わたしの羊を飼いなさい」と言われました。
 しかしたとえそうでもはっきり言えることは、神の言葉である聖書にそのような仲介者、聖職者を記した記事はありません。むしろ信じる者、誰にでも聖霊が住まい、聖霊さまが祭司として私たちは神と交わることができるのです。プロテスタント教会に教役者、牧師は必要ですが、聖職者では決してありません。務めを終われば、ただの信徒です。仲介者は一切要らないのです。人と神との間に仲介者不要であって、どこまでも人は罪人に過ぎません。

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