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2024年2月18日 (日)

さばくな

マタイ7章1節   2017新改訳

さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。

 月曜日ごろ聖書を何気なく読んでいるとマタイの7章の「さばいてはいけません。自分がさばかれないためです」の御言葉が目に刺さるように飛び込んできた。瞬間的にこれは天からの警告、注意であることも理解していた。それは日頃から、ある特定の方の言動を不正義に感じ、<許せない>思いを感じていたからに違いない。最近はむしろ怒りに近い感情さえ持つようになっていた、そのタイミングでこの御言葉が来たからだ落ち着いて考えるならば、このような怒りは冷静さを失ない、相手の事情も構わず、自分を絶対的な義の存在としてさばくからだ。そしてそれは神の主権を奪うことにもなっている。これは自分が裁判官になってしまい、「さばきは神のもの」(申命1:17)への明白な違反であった。この<自分が一番正しい>とするのは、エバから始まった罪、神をないがしらにして聞き従おうとしない罪そのものだ。

 人は自分が正しいと信じることを信じて生きようとするものだが、実はそのほとんどが間違っているのだ。誰が間違った人生を歩もうとす流だろうか。私はこれまで、短いとはもはや言えない人生で、唯一神を選んで信じた以外、自分が正しい決断や選択ができたと言う経験はほとんどない。唯一と言ったが、この唯一というのは神の哀れみと愛の導きの結果であって、真実は可能な限り私は抵抗して抵抗して、追い込まれて仕方なく<信じた>というのが真相なのだ。この群れではほとんど耳タコのように「神に聞き従う」ことが熱心に説かれるが、自分を捨て、神に聞き従うことは<人間中村>を磔にし、自分のことなど木偶の坊のようにしなければ不可能なことなのだ。

 クリスチャンの皆さんにお聞きしますが、別な言葉で「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます」とイエス様が語られていますが、そのように死んでいらっしゃいますか。しかし憐れみ深い神は私たちを哀れみ、苦難の道を通されました。この中で、誰か伴侶を失っていない人がいますか?いません。この中で、財産が富んだものにされてますます豊かにされた人がいますか?いません。この中で、家庭が最高に祝福されてみんな元気で問題など何一つない、そんな方が来ていらっしゃいますか?いません。私たちは苦難の道を通してでないと、世が儚いこと、頼ることができなことを知ることができません。苦難を通して神を知ったので、今ここに、会堂も何の飾りもない、牧師も無名なのですが、この臨在ある教会に立っているのです。
 世の富が失われて初めて知る、愚かな自分に注いでくださった神の絶大な愛と救いの価値ゆえに、何もお返しができないがゆえに、今自分自身を神への聖なるささげ物として立とうとしているのです。アーメンでしょうか。

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