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2024年3月17日 (日)

内なる霊の戦い

ローマ 12章2節   新改訳2007
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。
 霊の戦いと申しますと、高い山、街なら高いビルに上って、辺りを見回しながら賛美し、御言葉を置きながら霊の縛りをするイメージが多いかと思います。または家の中にある偶像とか地域の霊に対してもいたします。しかし本日の「内なる霊の戦い」とは、外的なものに対してではなく、クリスチャンである自分自身に対してです。
 私にも数は少ないのですが、悪い夢とか思索に、明らかに悪霊的なものがあって、それからなかなか脱出できず困った時があります。そのような時、「イエス・キリストの御名によって命じる、神のしもべである私から出ていけ!」と命じますと、すーっとその縛りから解放された経験が一度や二度ではありません。これは端的な例ですが、そこまで行かなくても、毎日、毎朝に起こる、自分自身を見つめ、本当に御心の生活を送っているか、内面へのアプローチが絶対に必要です。それを少しオーバーな「戦い」と表現してでも、強く進める必要があると示されました。
 内なる霊の戦いとは? ズバリ、それは日常の生活において、いかに主と交わり、生活の中で御心を行おうとしているかです。クリスチャンは神の霊を注がれ、注がれた神の力によって歩んでいる者です。イエス様もそうでしたし、イエス様に倣う私たちもそうでなくてはなりません。それを実現し、推進する力が祈りです。祈りの中で神の語りかけ、霊の注ぎかけを受けるのです。ですから毎朝の心からの祈り無くして、クリスチャン生活とは言えないはずです。
 当然ながら、このようなクリスチャンライフは、世の霊と激しく戦わなければならない宿命を負っています。睡眠不足だけでなく、時にクリスチャンは微妙な綱渡りをしている感覚に襲われます。自分に自信を持ち過ぎ、高ぶると罪を犯しますし、逆に自分には力がない、と否定的になっては証し人になれません。そこに微妙なバランスが必要です。
 先週は「老いてこそ」というテーマで、肉体が滅びに向かって進んでいく、それが天への熱い思いを強くし、自分に死ぬことが難しかった罪深かさが次第に清められていく、そのようなことを話しました。神は私たちが本当に神を愛しているのかを、絶えず確かめずにはおられない方です。十字架で心から愛されたのですから、愛された方も当然真剣で命がけでなければなりません。夫婦でも一方が浮気してとして、それでお互いの関係が全然変わらないのでは偽りの夫婦です。そのように神は私たちを妬むほど愛してくださっているのです。十字架でどんなに救われたといっても、神との交わりが無く、御心がわからないというのでは、その人は継子です。
 その交わりを実現させるもの、それが日々の祈りに他なりません。あなたがどれほど祈りに心を砕き専心しているか、それこそが<日々の霊の戦い>です。これに勝利をとりましょう。

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