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2024年3月24日 (日)

天国と地獄

ヨハネ 5章28-29節   2017新改訳

このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。
そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。

 今私たちは、この血肉の体の命があり、生きていますが、これには必ず死という終わりがあります。その先に何があるのか、考えようとしない人は、ただただ今の生きていることに執着するしかないのです。死は未知の世界で終わりであって、恐怖なのです。それは自分の行き先が暗に分かるからでしょう。確かに死の先にはゲヘナという地獄の世界が待っており、永遠に苦しむことになるのですから、それまで避けて避けて、とうとうゲヘナに投げ込まれるのです。

 人は死ぬと霊肉が分離し、肉は土に戻り、霊は滅ぶことができないので、最後の審判まで「眠る」状態で待機します。そのことを本日の聖書箇所で述べています。つまり霊は滅ばず永遠であすが、最後の審判後ではそれぞれに裁かれた霊にふさわしい滅ばない体が全員に与えられます。しかし問題はその後、ゲヘナに行けば炎熱の責苦で、死ぬことが出来ませんから永遠に苦しみ続けなければいけないことです。悲劇であるのは、滅ばない体が与えられていますから、体への苦しみが、永久に繰り返されあり続けることです。これでは心が滅びます。
 しかし天国では、全く異なります。神の御座からの光、喜び、感謝、栄光、賛美が溢れるところです。雲泥の差というべきです。ですからクリスチャンは死を恐れません。それどころか遥かに見て確信し、待ち望んでいます。なぜなら血肉の体がある間は、世と悪霊どもとの戦いが常に許され、安住の地では無いからです。

 一つここで確認しておきたいことがあります。クリスチャンはなぜ天国に行くか、ということです。実はクリスチャンも同じ罪人です。しかし「罪が赦されている」ので、まるで罪が無いものとされることです。天国は罪がある者は一切、入ることができません。しかし偉大な十字架、神自らが十字架の上で私たちの罪の身代わりを引き受けてくださって、それを我が罪のためと信じる者は罪は赦されるのです。神はイスラエルの民を通して、人間の力、努力では罪を犯さないことが不可能であり、ただ一つ、神の赦しのみに救いがあることを教えてくださいました。

 次に、クリスチャンになっても罪を犯します。その罪はどうするのか?ここがカトリックと異なるのですが、告解して罪を司祭に告白しなくても、全地を覆う天におられる神に告白し、悔い改めるならば赦されて天に行けるのです。その保証は幕屋と呼ばれる信じる者の中に住まわれる聖霊であり、日々聖霊様と交わるの中から、神への愛、救いの確信を持つに至ります。保証は天からのものであり、人が自分を中心とする生き方を捨てた時から始まるものです。皆さん‥‥確信に立って生きた証人としての使命が、クリスチャン全員にあります。神の御心のために、ご自分の人生を捧げてください。確信に立ちましょう。

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