獅子の口から義の栄光へ
✝テモテ 2章11節 2017新改訳
次のことばは真実です。「私たちが、キリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きるようになる。
第二テモテとは、パウロが死の直前、我が子同然の愛するテモテに送った最後の手紙です。書かれた年代は、64年のネロの大迫害(クリスチャンがローマ大火の犯人とされた)以降、数年内に処刑されたはずです。すでに処刑が決まって、執行待ちの状態からの手紙なので、遺書的な性格もありますが、牧会指導と言うだけでなく、パウロの心情が吐露された内容になっています。
この手紙には、アジアで大規模なパウロ離れが起こり、ほとんどの教会がパウロから去っていったことを心配する内容が目立ちます。多分それは濡れ衣を着せられ、大迫害を防げなかったパウロへの落胆や、大火に連座することを恐れてのことであったと思われます。そこでパウロはアジアの中心的なエペソ教会の監督テモテに対して、今の自分の心境を語り、身の上を案じるテモテを励ましたかったようです。エルサレムでの騒動以降、裁判を皇帝に上訴し、カイザリヤやローマで長い期間囚人として過ごしてきたパウロでした。一時期はかなり自由に活動できたものの、処刑が決まってからは身近にはルカだけしか居らず、寒さにも困っていましたが、その心には義の栄冠を受ける喜びで、一点の曇りもなく晴れた天を仰いでいたのです。
たとえクリスチャンであっても、死んで天国に行くと言うことは同じでも、神に哀れみを受けたままで死んで行くのと、栄光を受けて死ぬのとでは大違いです。
そのことを「(アジアにいる)私の子よ、イエスの恵みによって<聖霊によって守り(1:14)>強くなりなさい」と教え、く聖霊によって守られ、自分については、福音のために苦しみを受けているのだから私は耐え忍ぶ(2:9ー10)と来る殉教の決意を語り、それだからあなたも「恥じることのない働き人として、自分を神に捧げるように(2:15)」とパウロが心から勧めています。
私やドルカスの両親はすでに亡くなっていますが、次は高齢者となった私たち世代の番だと思っています。日本にリバイバルが起こされますが、その時私たちは聖霊の賜物によって大きな働きをすることになっています。しかし聖霊の実が実っていないのに、そのような油が注がれることは無いことでしょう。アブラハムは75、モーセは80歳で用いられました。今から遅くはありません、熱心に祈り、信頼し、主と交わり、そのみこころがわかるようになっておきましょう。そのみこころを行うことで迫害されるならば、素晴らしい神の栄光を受ける約束になります。それゆえ、なんとしてでも、九つある御霊の実を一つでも二つでも多く、実らせて参りましょう。