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2024年4月14日 (日)

天に行く確かな歩み

マタイ 7章21節   2017新改訳

わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。

 マタイ7章21節には、イエス・キリストのことばとして、「主よ、主よと言うものがみな天の御国に入るのではなく、(以下意訳)父のみこころを行なう者だけが天の御国に入る」とあります。つまりクリスチャンがみな天国に行けるのではなく、神のみこころを行なっている者だけが入れると言うことです。これは明らかにカルヴァンの予定説の「一度でも信じた者は全員救われる」(永久保証)を否定しています。つまり、パリサイ人のように律法を形式的に守っていてもアウトになります。神との霊的な交わりを保ち続け、その交わりの中で神のみこころが分かって、それを率先して行なう者だけだと言われているのです。これは非常に重要なことです。今回、態度を保留していた私にも、主ははっきりさせるよう迫られました。信徒に永久保証を説き、油断した信徒が裁きの日に地に落とされたら、牧師はその咎を負わなければならないのです。

 実は最近、祈っている中で、<キリストは人となって来てくださった見える神そのものである>ことから、直に神である<キリストのことばにもっと注力しなければならない>と示されています。ただし聖書はどれかが重要で、他は重要でないということはありません。

 さて肝心の「みこころを行う」とはどういう事でしょうか。「種蒔きのたとえ」から見て行くと、最近になって、岩地も茨も全てクリスチャンと自称する人たちのことであって、永久保証説を否定するものだということに気づかされました。「『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者が入る」ので、これは明らかです。
 ではみこころはいかにして行えるのでしょうか。それは先ず良い地であることと、その上に発芽する‥‥自分に死んで代わりに神の霊(聖霊)が成長していなければなりません。もちろん成長をさせてくださるのは神(1コリント6:6)です。このように発芽という言葉を見た時、<自分に死んで神の霊に生きる、聖霊のバプテスマを指していることがわかります。それなくして神と交わり、みこころを知ることもあり得ません。<みこころを行う>者は既にこの世のもので無く、神の代理人と称する偽預言者や教祖に盲従する(カルトに属する)こともありません。
 しかし幾度も言いますが、自分に死ぬことは自分の力では不可能です。「心の貧しき者は幸い」‥‥自分の高慢と無力さ、罪を徹底的に知らされる者は幸いなのです。自分に絶望し、神のものになる決断は本人の自由意志です。サタンのように神は人を虜にしません。愛しておられ、その決断する自由意志を切望しておられます。神のものとして自分を捨て神に従う者を、神は愛してくださり、交わってくださいます。交われば交わるほど私たちは神を愛する者となり、神のみこころ、計画に預り行おうとします。神の子であり、御国を受け継ぐ嗣子だからです。

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