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2024年4月 7日 (日)

いつも喜びなさい

ピリピ 4章4節   2017新改訳

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
 「いつも喜んでいなさい」。この御言葉通りに私たちはいつも喜んでいるでしょうか。そうでなく、仕事のストレスや家庭の問題、金銭の不足に悩んで、時に苦虫を噛み潰したような顔をしていないでしょうか。無理に笑顔でいようとすれば、頬が引き吊ったりして(笑い)‥‥ですからこれは、なかなか守れない、困難な命令のように感じます。ですがこれは神様からの命令です。では不可能なことを命令されているのでしょうか。それとも私たちに何か問題があるのでしょうか。それとも世にあっては神の期待に応えることのできない、永遠の理想なのでしょうか。

 確かに私たち、この世に生きている限り、財力とか権威、能力、家柄や名誉、学歴、あるいは姿形から全く無関係に生きることはできません。しかしそれと自分の心がとらわれることとは、まったく別なことではないでしょうか。その例を使徒の中の使徒、パウロに見てみましょう。

 パウロは世のそのようなものはdung(直接的には糞、2017では塵)だと言いました。このように言ったパウロは、イスラエル人の誰もが羨むような世の富を持っていた人でした。八日目に割礼を受け血統正しきベニヤミン族出身。律法についてはガマリエル門下でパリサイ人の中のパリサイ人。誰もが羨むこれらを、パウロはdungと言ったのです。こう言えるのは、これらに比べようもない、はるかに素晴らしいものを得ていたからに他なりません。それは霊的な恵みであって、喜びあふれ、尽きない祝福です。世の思いから逃れられず、平安と喜びがないクリスチャンでは、神の御心から外れています。世から解放される信仰のすばらしさ、例えられない喜びを手にしていないのです。ぜひ希望と期待を持って、焦がれて祈り求めてください。

 しかしまた、別な見方もあります。今現在の私たちの信仰の状態です。心の大切なもの(心)は両立ませんし、そこに優先順位が当然あります。肉のものを信仰より優先している自分があったとしたら、それこそ神とキリストから自分を遠ざけ、奪い、妨害する世のものと戦わなければなりません。神と世と両方とも大切にすることはできないのです。両方とも失ってしまいます。次の御言葉がそれをはっきりと教えています。世の楽しみや富、それらに心を奪われているなら、滅びの道がその先に待っています。今その優先順位をはっきりさせなければならないのです。そうすれば、神は私たちの祈りに応えてくださり、私たちが神を愛する者になるよう助けてくださることでしょう。

だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。マタイの福音書 6章24節

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