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2024年5月19日 (日)

教会の誕生

使徒 2章1~4節   2017新改訳

五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。

 本日はペンテコステ、キリスト教会の誕生日です。使徒の働きの2章にもありますように、聖霊を受けたのは、イエス・キリストに従った信者であり、その約束を信じて集まり、おそらく祈っていた人たちでした。その信者の上に聖霊が下って異言や預言を語るようになりました。これは聖霊のバプテスマと呼ばれる現象であり、その賜物が現れた現象を物語っています。そのことから二つのことがわかります。聖霊のバプテスマは信じると同時に受けるものではなく、待ち望んでいた信仰の堅い人たちの上に下ったこと。そしてこの日が教会の誕生日と言われるように、聖霊のバプテスマを受けた人びとの上に教会が建てられたということです。

 イエス・キリストを信じるなら罪が赦され、神との障壁が取り除かれます。しかし問題は口先でどんなに「主よ」と呼んでも、自分が相変わらず自分の主であって、神がドラえもんのポケットのように便利な存在では、神と交わる正しい関係にならないことです。 人はどんなに努力しても「一粒の麦、落ちて死なずば」にあるように、自分に死ぬことができないので、聖霊の実を結ぶことができないのです。神である聖霊と交わらなければ、肉の思いであり、御心を行えないのです。そしてこれが今現在の多くのクリスチャンと教会の現状です。

 自分に死ぬとは新生することです。新生と呼ばれる聖霊のバプテスマは自分の力の及ばないものであるとすれば、これは神に選ばれ、愛されたクリスチャンだけが通される道であり、産みの苦しみの果てに与えられる特別な恵みです。そして神は、この聖霊のバプテスマの上に教会を建てられたのです。聖霊のバプテスマによって教会が誕生し、すでにその役目は終わった過去のものだと福音派は説きますが、それならなぜ今から100年前、ロスのシーモア牧師によって聖霊のバプテスマが大きく用いられるようになったのでしょうか。また聖書には、新生を伴う聖霊のバプテスマが終わったなどとは書いてありません。聖霊のバプテスマを受けていないことは、ピリポがサマリヤで多くの信者を得た時に、エルサレム教会がペテロとヨハネを派遣したこと。エペソでアポロによる信者にパウロが会った時のことなどの記事で、当初から懸念されたことでした。それが現在では多数派、主流派になっているだけのことです。

 神様はギデオンに命じてイスラエルの民が誇らないよう、戦う者の数を300という、イスラエル自身では到底不可能な数まで減らされました。今まさにそのように私たちは少ないのですが選ばれた戦士です。神の命によって残されている、そして神の御名が崇められるために、私たちの力を超えてリバイバルという勝利を主は得られのです。

 

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