フォト
2024年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 2024年5月 | トップページ | 2024年7月 »

2024年6月

2024年6月30日 (日)

罪人の祝福

マタイ 5章28節   2017新改訳

しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。

 健康な全員の男性には情欲があります。イエス・キリストは十戒の「汝、姦淫することなかれ」とは、姦淫そのものよりはるかに幅広く(=天の聖さ)解釈され、「わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯している」と説かれました。となると一体、罪を犯していない男などこの世にいるでしょうか。普通はいないのです。全ての男(人)は罪人なのです。世の多くの男は「みんな情欲があるのだから、思っただけで実際に行なわない限り、罪を犯したことにはならないだろう」と開き直っています。しかし神の義と聖である神の国で、情欲を抱く男が拒絶されるのは当然です。
 これはクリスチャンであっても同様で、そのような情欲を抱く者が入ろうとするなら、天が汚れるので間違いなく、うじ虫と燃える火のゲヘナに永久に落とされることでしょう。ある人は世での命が終わり肉体が失われた時に、肉原因の罪はたちどころに無くなると考えています。しかし肉体のある時にしたことで裁かれるのですから、それは甘すぎる考えではないでしょうか。

 では神はすべての人をゲヘナへ落とすために、情欲を人にもたらされたのでしょうか。確かにエデンでアダムたちが罪を犯すまでは、人は天的な罪の無い存在でした。情欲は罪の結果を表し、人が子孫を残し、地に増えるためのものだと見ることが出来ますが、天的なものではなく、罪を背負って滅ぶ肉的なものです。私も青年時代から情欲で苦しんだため、情欲は男性が克己するために置かれたと思うことにしていました。またそうでなければ家庭を治める者にはなれぬ、と。
 今は違います。人は救われなければならない罪人であることを明らかにされるためです。すべての人は罪人であること、そのために、神であるキリストが罪を赦すために来られ、身代わりに十字架におかかりになってくださったのです。情欲の罪を認め、キリストを信じて救われるためです。さらに神が真に自分の主となって、悔い改めても悔い改めても、なかなか死なない、罪深い自分が死ぬためのものです。自分が死んで生きながら天に属する、聖霊の注ぎを受ける祝福の基となるのです。

 ああ、神の知恵はなんと素晴らしいのでしょうか。肉に生まれ、肉の時代にあって「自分を支配しようとする罪の源、これさえなければ」と呪い、憎々しく思っていたものが、なんと、祝福の土台になったのです。

2024年6月23日 (日)

後の方が良いに決まっている

ルカ 16章19~31節   2017新改訳
するとアブラハムは言った。『子よ、思い出しなさい。おまえは生きている間、良いものを受け、ラザロは生きている間、悪いものを受けた。しかし今は、彼はここで慰められ、おまえは苦しみもだえている。

 本日の聖書箇所は、全体的には文の流れから、金持ちへの訓戒の意味が強いところです。しかし本日は中心を司祭階級やパリサイ人たちへの警鐘ではなく、「生前は悪いものを受けたが、次には良いものを受けた」ラザロに寄り添って語ります。
 神を信じるのには、さまざまな経緯が許されます。非常な困難さから神を信じた人もいるでしょうし、すでに熱心に信じているのに困難苦しみが許されるヨブのような場合もあるでしょう。初めは人間にとって困難は、理不尽で受け入れることができないものであっても、結果として神の計画は最善であり、最高であることを知るのです。ラザロの話は実際にあったことだと思いますが、しっかりと読み取りをすることによって、祝福とはどういうものかが分かります。
 金持ちとラザロの死後の描写から、イエスさまの十字架が成る時までは、黄泉(よみ)は天国の部分とハデス(地獄)の部分が未分離のまま存在し、その間に超えられない深い淵がありました。この時すでに地獄は炎熱の責苦の場所であって、恐ろしい所でした。イエス様の十字架と復活によって、黄泉の世界は天国とハデスとに分離した事が分かります。
 ラザロがどのような経緯で神を信じたのかわかりもせんが、個人的には星野富弘さんのような経緯だったのではないかと想像します。富弘さんは元の体に戻してくれと神様に祈りませんでした。神を信じない人生よりも、障害ゆえに神を信じたのであれば、その障害は天への鍵、宝物です。その人生を選ぶと言っています。ラザロもそうだったと思われます。
 ラザロは極度に貧しく、住む所はもちろん、治療、食費、そのほか誰も関わってくれない打ち捨てられた状態でした。金持ちの家からの残飯で飢えをしのでいたのです。そこまで見放されるには、もしかしたら見放されるような経緯があったのかも知れません。もしそうならユダヤ人である彼は、どん底に落ちて初めて心から悔い、神を信じたと見ることが出来ます。そうであるなら彼は真のいのちを得て、天に憧れ、天に住まうことだけを願っていたはずです。ラザロの死後、すぐに天使たちの迎えられ、念願通りアブラハムに懐に入ったのも頷けます。
 天の国に行ける恵みにあずかるには、聖書中の全ての登場人物に言えることですが、苦しみが必須です。見方を変えれば、御心の人物だけが試みられ、天国をゲットしています。なぜなら苦しめられ試みられてはじめて、自分に死ぬことができ、神を第一とすることができるからです。ですから困難や苦しみは、天国への恵み、宝物なのです。これはまさに大逆転です。

2024年6月16日 (日)

心理的中毒症状

詩篇 19篇14節   2017新改訳

私の口のことばと私の心の思いとが御前に受け入れられますように。よわが岩わが贖い主よ。
 この国で一番多い依存症はアルコールとかニコチン、ギャンブルでしょうが、現代ではインターネットとかスマホという新手の依存症も多くなって来ています。テーマを中毒症状としましたが、正確には依存症と言うべきことでしょう。依存症とは、害を認識し止めなければいけないと分かっていても、害の魅力に勝てない断てない、それに自分を委ねてしまう、つまり依存から脱することができないで中毒状態が続くわけです。
 実はそのような害とか悪に依存し、抵抗を止め、その中毒症状が全ての成人男性にあることをご存知でしょうか。元々は神が人を創造された時、「生めよ.増えよ。地に満ちよ(創1:28)」の祝福でした。問題はそれがどこから来たかを知らず、神に頼らず解決しようと、自分の性的欲望のままに従ってしまうことです。あのマーリンさんですら世的には罪を犯すことはありませんでしたが、「長い間、淫らな思いと好色な夢と戦った」と述懐しています。私もですが、たとえ神を信じていても、「主よ、どうしてこのような性的な思い、欲望があるのでしょうか?」といつも問いかけていたことを思い出します。「十字架によって全ての罪が赦されているはずなのに、どうしてこの罪に囚われたまま生きなければならないのだろうか?」と思い、「肉体がこの世にある限り決して聖とはされない」とすら思いました。罪の意識を常に感じ、時に絶望し開き直り、しかし大体はいつも神に赦しを願って祈り、これから解放されることに憧れ続けました。

 しかしそうではないのです。これは神に自分を捧げられた時から気づいたのですが、祝福の道具なのです。自分を神に真に捧げることができる、自分を捨てることができる道具なのです。自分が聖を目指すことは高慢の罪です。多くのクリスチャンが勘違いをしている、自分の罪のためにキリストが贖いをしてくださったから罪が赦され、故に聖とされるのではないのです。それは全くの間違いです。真の信仰を持つとは、肉の罪の深刻さゆえに、自分に死ぬことです。その結果としての絶大な祝福を受ける、これが神の計画です。バテ・シェバとの間に重大な罪を犯し続けたダビデ王や、ユダとタマルとの一件が明確な証人だと言えるでしょう。

 マーリンさんも「一生涯、この(肉欲と闘う)繰り返しで暮らすのか」と思われたそうです。しかし「絶望しかけた時、人間にとって、最も実行が困難なことは、神さまが私たちに一番してあげたいと思っていることではないか?」と気付いた書かれています。なぜこの罪があるのか、それは人であって神ではないこと、高慢を砕き自分を明け渡し謙遜にさせ、エデンの園の交わりに入らせるためです。

2024年6月 9日 (日)

交わり

ヨハネ 21章5節   2017新改訳

イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」彼らは答えた。「ありません。」

「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」
 これは復活されたイエス様が、ガリラヤに戻っていた弟子たちにかけられたことばで、愛ある言葉ではないでしょうか。魚が釣れなくては危うく朝食抜きになりそうな弟子たちを救い、この後の主との朝食にどんな会話があったのか、きっとワクワク楽しい交わりだったことでしょう。

 福音書でのイエス様を見れば、食事の席での記事が多いことに気づきます。パリサイ人のようなお金持ちに招かれるだけでなく、見下げられていた取税人や罪びと共に食事することをむしろ喜ばれました。一緒に食べることは、人と人とが知り合い、交わる最高の機会です。私たちでも披露宴や葬式だけでなく、お正月、職場の慰労会やパーティなど、ことあるごとに食事しながら交わっています。事情はイスラエルでも全く同じだったのでしょう。特にイエス様と食事の記事では、過ぎ越しの食事(最後の晩餐)や五千人の給食、譬え話での「王の宴会」や「十人の乙女」など、記憶に残る話が多く、食事が重要な意味を持っています。

 私も大学を卒業した時、それから30年近く経って福音派からカリスマ派に転向した時など、教会遍歴をいたしました。中には礼拝が終わると、さーっと即、解散する教会もあれば、「皆さん、ご一緒に」とカレーなどの食事が伴う教会があります。礼拝で牧師メッセージがどんなに良くても、食事時にお腹を空かせたまま礼拝者を帰らせるのは、イエス様の御心ではないと私は思います。人間的な交わりを排してただ神さまとだけで良い、そのように思われる方は、礼拝より祈祷院の方が向いています。教会はキリストの御体(みからだ)です。手や足、目など体の肢体の働きに養分が必要であるように、食事が無い教会には二度と足を運ぶ気にはなれません。言い換えれば食事を通しての教会の人々との交わりそのものが、人と人とを結ぶものであって、食事での交わりを通して教会の信仰と伝道スピリットが表れるのです。

 また食事が出せなかったとしても、礼拝に来る人は<求め><飢え渇き>があるのです。ご自分が無理なら、牧師室へ、それができなかったらたとえ帰り道すがらでも、交わりは可能です。決して手ぶらで帰られることはないようにしましょう。教会は礼拝が第一ですが、交わりも第二に重要です。この二つがエクレシア(集会)教会の生命線であることを、今一度確認し、祈って行きましょう。
 当教会は今は持ち寄っての食事ですが、少し前まで牧師カレーの日がありました。今後また可能な状況になりましたら、是非とも復活させたいことの一つです。

2024年6月 2日 (日)

主は今生きておられる

Ⅰコリント 6章19節   2017新改訳
あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません

 早天でいつも祈っていることがありました。それは「どうか主よ、もっとあなたと霊的に交わらせてください。あなたのことばを親しく聞き、豊かな交わりがしたいです。でもそうしてくださらない時は、悔い改めが足りないのでしょうか」と。その朝はその残念な気持ちで祈りを終わろうとしていると、こんな声が聞こえてきたのです。
 「あなたは思い違いをしている。あなたはいつもまだ朝焼けの空や、黙想の中で私の呼び声を待っていますが、私があなたの中にいることを忘れています」と。【そうだった!】 

 確かに私たちは<聖霊の内住>といって、神が信じた人の一人一人の中に住まわれるということは理解しています。しかしそれは多くのクリスチャンにとって、過去の私を含めてですが、単なる知識で終わっていたのです。それも当然、実体験がないのですから、単に知識なのです。プロテスタントの多くの教会では、信じた時に聖霊が内住され、聖霊のバプテスマも同時に受けたと教えます。するともう、聖霊のバプテスマを求めることはしません。
 聖霊の内住は聖霊のバプテスマと同一ではありません。水のバプテスマが聖霊のバプテスマではないことは、最近も二つの聖書箇所、ピリポのサマリヤ伝道、エペソでのアポロの伝道で幾度も申し上げている通りです。
 今や当時の教会が危惧した通り、水のバプテスマしか知らないクリスチャンが圧倒的になりました。水のバプテスマでは内住の神が主ではなく、聞き従えない者には沈黙されます。十年ぐらい前、スコセッシ監督のハリウッド映画「沈黙ーサイレンスー」がありました。映画では海の中で殉教する村人たちを前に、救出の奇跡を祈るロドリゴ司祭に対し神はただ、沈黙されていました。内住の神をないがしろにし、自分を主とするクリスチャンに、神が応答されることはありえません。神のことばを無視する罪を上塗りすることになるからです。ただ沈黙されるのです。

 私は恵みによって聖霊のバプテスマを経験し、神の沈黙の理由がわかりました。神との霊的な交わりがどれほど素晴らしいか、言葉では難しいです。それまで内住されるだけだった聖霊様との交わりの恵みは、肉の命を捨ててはじめて「真のいのち」を得たと言えるのです。
 神の声を聞き、神の召命に応じる者に注がれる素晴らしい祝福は、第一に喜んで世のもの一切を捨てることができます。はるかに神と共に生きる方が良いからです。次に天国は私たちのものという確信が伴います。以後信仰の不安は一切、消え去ります。
 人は自分以上の生きる目標を持つことで、なんのために生きるのか、人生の価値を見出します。十字架にかかってまで罪深い私たちの神の愛に応えて歩む時、自分自身から解放され、罪から自由とされ、真に命を輝かせることができるのです。

« 2024年5月 | トップページ | 2024年7月 »