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2024年6月 2日 (日)

主は今生きておられる

Ⅰコリント 6章19節   2017新改訳
あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません

 早天でいつも祈っていることがありました。それは「どうか主よ、もっとあなたと霊的に交わらせてください。あなたのことばを親しく聞き、豊かな交わりがしたいです。でもそうしてくださらない時は、悔い改めが足りないのでしょうか」と。その朝はその残念な気持ちで祈りを終わろうとしていると、こんな声が聞こえてきたのです。
 「あなたは思い違いをしている。あなたはいつもまだ朝焼けの空や、黙想の中で私の呼び声を待っていますが、私があなたの中にいることを忘れています」と。【そうだった!】 

 確かに私たちは<聖霊の内住>といって、神が信じた人の一人一人の中に住まわれるということは理解しています。しかしそれは多くのクリスチャンにとって、過去の私を含めてですが、単なる知識で終わっていたのです。それも当然、実体験がないのですから、単に知識なのです。プロテスタントの多くの教会では、信じた時に聖霊が内住され、聖霊のバプテスマも同時に受けたと教えます。するともう、聖霊のバプテスマを求めることはしません。
 聖霊の内住は聖霊のバプテスマと同一ではありません。水のバプテスマが聖霊のバプテスマではないことは、最近も二つの聖書箇所、ピリポのサマリヤ伝道、エペソでのアポロの伝道で幾度も申し上げている通りです。
 今や当時の教会が危惧した通り、水のバプテスマしか知らないクリスチャンが圧倒的になりました。水のバプテスマでは内住の神が主ではなく、聞き従えない者には沈黙されます。十年ぐらい前、スコセッシ監督のハリウッド映画「沈黙ーサイレンスー」がありました。映画では海の中で殉教する村人たちを前に、救出の奇跡を祈るロドリゴ司祭に対し神はただ、沈黙されていました。内住の神をないがしろにし、自分を主とするクリスチャンに、神が応答されることはありえません。神のことばを無視する罪を上塗りすることになるからです。ただ沈黙されるのです。

 私は恵みによって聖霊のバプテスマを経験し、神の沈黙の理由がわかりました。神との霊的な交わりがどれほど素晴らしいか、言葉では難しいです。それまで内住されるだけだった聖霊様との交わりの恵みは、肉の命を捨ててはじめて「真のいのち」を得たと言えるのです。
 神の声を聞き、神の召命に応じる者に注がれる素晴らしい祝福は、第一に喜んで世のもの一切を捨てることができます。はるかに神と共に生きる方が良いからです。次に天国は私たちのものという確信が伴います。以後信仰の不安は一切、消え去ります。
 人は自分以上の生きる目標を持つことで、なんのために生きるのか、人生の価値を見出します。十字架にかかってまで罪深い私たちの神の愛に応えて歩む時、自分自身から解放され、罪から自由とされ、真に命を輝かせることができるのです。

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