三日で建てられた神の宮殿
✝マルコ 14章58節 2017新改訳
「私たちは、この人が『わたしは手で造られたこの神殿をこわして、三日のうちに、手で造られない別の神殿を造ってみせる』と言うのを聞きました。」
本日はエルサレム、特に神殿と聖墳墓教会について語らせていただきます。これらは全世界のクリスチャンにとって非常に聖なる所ですが、少々誤解も含まれているようなので、改めて説明をいたします。まずエルサレムは聖なる所です。そのことは✝歴代誌第二7章16、✝詩篇99篇1~5、そして✝ヨエル書3章17節にはっきりと書かれています。
その足台となるエルサレム神殿がありますが、ここはアブラハムがその子イサクを捧げたモリヤの山、ダビデがアラウナの打ち場の傍で主の御使いに、罪と民の代わりに自分を罰するよう告白した所です。そこに主がガドを通し、祭壇を築きなさいと命じられたのです。イエス様もここを「父の家」と言われました。
そのイエス様の使命は神殿を支配する者たちの手にかかって十字架に架かり、ご自身が贖罪の子羊となられることでした。なんと神ご自身が私たちの罪を背負ってくださったのです。その場所がほぼ間違いなく、聖墳墓教会です。この場所はA.D.300年ごろコンスタンチヌス帝の母ヘレナによって発見された所です。その後何度もイスラム勢力によって破壊され、再建されての歴史を経て今日に至っています。このような長い歴史の結果、現在はキリスト教6派の共同管理の下に運営され、世界中のクリスチャンの聖地となっています。
歴史的な建造物ですから薄暗く、香料の匂いもあり、私達の群れには霊的に良くないと入らないという方がおられます。しかしこれは余りにももったいないことであって、ゴルゴタの丘、「エディクラ」と呼ばれるキリストの埋葬場所を同時に見学できる所は、この地球上で唯一、ここだけです。この二つの場所を見て回れるよう、巨大な建物で覆って当時の面影を完全に作り変えた面はありますが、救われるすべての魂にとっては、霊的に良くないの超反対の所です。
ぜひエルサレムを訪問できる機会があれば、神殿の丘が難しくてもこの聖墳墓教会だけには入れます。ぜひ御わざの痕跡が残る現場で、改めて信仰を堅くする機会に恵まれますようお勧めします。