主を信頼し主に委ねよ
✝詩篇 37篇5節 2017新改訳
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
クリスチャンには、なぜか期待する平安や祝福どころでなく、試練や困難が続くことが多い。私の身近に聞く話でも、教会を支えるような篤信な信徒の家庭に、結婚式直後数日で新郎が事故死したケースや、牧師を支えて教会を再出発しようとした直後、息子が車に轢かれて即死したケースがあります。タイミングといい、若かった私には「どうしてこんなことが許されるのか?」と嘆息せざるを得ませんでした。
その根底には「天知万物を創造された全知全能の神に守られて、恵まれ祝福された人生のはずなのに、なぜ?」という思いがありました。「神にはこれらの不幸を防ぐ力はないのか」とも思ってしまいました。幸いこのことで不信仰になることはなかったのですが、疑問は当分続きました。
しかしそのような、世的には<不幸>としか思えないようなことが、やがて私にも訪れ、直面する事態が来ました。十数年も続いたこの試練、困難の期間を通じて、私の人格、人生設計など、家族の破壊を通して何もかも大きく悪い方向に変わりました。
祈っても祈っても、全然願いが叶わない。「こんな病気や不幸を与え続けるような神は、神じゃない!」とまで思うこともあり、危うく信仰まで失いそうになりました。
しかしこの試練や困難が許され、通されたのは、私が自分自身に死ぬためには、絶対に必要であって、どうしても通らなければならない道だったのです。みなさん、自分に対して死ぬ、ということは、どんなに頑張っての努力や精進では不可能だということをご存知でしょうか。しかし「死ななければ、身を結ぶことができない」という御言葉もまた真実です。この唯一の突破口が神からの試練・困難なのです。それは、恐ろしいまでの自分の罪深さを気づかされ、無価値さに絶望することでした。
それゆえ、私たちの教会の今直面している大きな困難<教会員が半減した、会堂を出て行かなければならない>に対しても、私は次の神の大きな計画が控えていることがわかるので、Restart だと確信しているのです。これを御言葉通り「このうえもない喜びと」(ヤコブ1:2)思いましょう。「約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか(ヘブル10:23)。