まず神の国を求める
✝マタイ 6章33節 2017新改訳
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
この世の人々の天国と地獄の理解は、「帰って来たヨッパライ」の歌同様、まったく自分に都合の良いものです。しかし聖書で描かれている神の国(天の新しいエルサレム)とゲヘナが真実なのです。混同しないために下図で示します。ルカの16章では、最初、黄泉の世界は三つの部分に別れていました。その中の地獄的な炎の中で、金持ちが貧しいラザロを哀れまなかったが故に暑さで苦しんでいました。その彼がふと見上げると遠く上の方、天的なアブラハムのふところではあののラザロが居て、慰めを得ていたという話です。この両者の間には、深い淵があって、全く行き来出来ないのでした。しかしキリストの十字架の福音は、信仰によって完全に罪を赦されて行くので、下図のように黄泉が天的な部分である神の国パラダイスとして分離しました。
こうなると二つの世界は完全に別世界となりました。そしてこの時代十字架の時代の後、最後の審判が行われた後は、それぞれに滅びない体が与えられるのですが、新しいエルサレムでは悲しみも苦しみもない栄光の神の民として、一方ゲヘナでは永遠に苦しみ続けるための体として与えられるのです。ですからこれはまったく正反対です。
ただし天のエルサレムには臆病な者、不信仰な者、偶像を拝む人などは入ることができず、キリストを信じることを告白していても、火と硫黄のゲヘナに行くことになります。
さて天のエルサレムとはどんなところでしょうか。それはとにかく素晴らしいところとして主に黙示録21、22章に描かれています。一辺が2,200kmの信じられないほどの巨大な城郭都市で天から降りてきます。太陽や月がなくても、もっと素晴らしい絶えない光が神の御座から光り輝き、街や周辺全体を照らしています。いのちの水の川が中央から流れ出て、その川のほとりには月々に変わる木の実がなっています。
本日はこのぐらいにしますが、新しい天のエルサレムは素晴らしい所です。どんなことがあろうと、強い願いを持って主に祈り求めて行きましょう。