罪人の救い
✝マタイ 9章13節 2017新改訳
『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。
一週間前、仮庵の祭り最終日から突如として始まった、ハマスの残虐な奇襲攻撃について触れざるを得ません。そのイスラム原理主義のハマスも、反撃しているユダヤ人も、実は私たちと同じ、同じ神を信じている一神教徒です。ハマスは極端なイスラム過激派武闘集団であって、PLOから武力でガザの支配を奪い取っているだけで、ガザの住民はむしろ被害者です。
そのハマスはアルカイダやISと同じイスラム原理主義ですから、イスラエルと平和に暮らす考えは全くありません。巧みな宣伝工作はしても、目的は宿敵イスラエルを滅ぼし、世界をイスラム原理主義の支配に置くことです。彼らは創始者ムハンマドがジハード(聖戦)を行ってイスラム世界を広げた理念そのままを、今に再現しようとしているのです。
さてこの度のような、ハマスが何千発ものミサイルなどを同時に打ち上げる大規模な攻撃ができるのは、北のヒズボラと同様に支援するイランがいるからです。つまりこれは、イランとの代理戦争の様相を呈しているのが現状でしょう。イランはシーア派、イスラム原理主義はスンニ派ですので、ちょっと奇異に思いますが、イスラエルや西欧世界は共通の敵なので、支援するのでしょう。
今後についてはハマス支配下にあるガザの人々を思いを寄せ、地上戦において人々の犠牲が最小限で済むように、そしてイスラエルがイランとの全面戦争にならないように、私たちは祈らなければならないと思います。
さて本日のテーマの通り、すべての人は罪人です。すべての人が罪を自覚し、悔い改め、聖書が証明する真の神、キリストの救いと平和を信じることが、たとえ不可能とも思えても、唯一の解決の道だと私は信じます。
もちろんキリスト教においても、これまでに多くの過ちを犯してきました。しかしその原因は、王権を上回るほどに権力化した教会組織や、時の権力者との癒着、腐敗があり、その歴史からプロテスタント教会は一つの真実を学んできました。それは宗教と政治の分離です。歴史は貪欲な王や支配者王たちが宗教を利用してきた過去そのものでした。現在でも北朝鮮などでは、支配者はほぼ神さまになっています。唯一プロテスタント教会だけが当初は難しかったのですが、世俗の権力から分離し、政治非介入の原則を立てるようになりました。ですから政治にすり寄って行った統一原理が国による解散請求に至ったのは当然です。権力に歩み寄るのは世俗化した宗教です。
私たちは、キリストの平和の成就には神の時と力、そして全世界的なリバイバルがあって実現することを知っています。平和には神の力、信仰による祈りが必要です。決して人間だけの力でしようとしてはいけないのです。ウクライナにしても、ガザにしても、真の神に捧げる聖徒の祈りを、主は用いてくださるのです。