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福音

2020年5月10日 (日)

新しい皮袋

ルカ 5章37節  新改訳2017

まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を裂き、ぶどう酒が流れ出て、皮袋もだめになります。

「新しい皮袋」聖書由来のことわざには「目から鱗」「豚に真珠」と本日のこの「新しい酒は新しい皮袋に」とあります。但し聖書から正しく理解するならば、かなり意味が異なって来ます。
 まずこのたとえは断食についてのパリサイ人の質問から始まりました。パリサイ人たちはイエス様の前に陣取り、カペナウムでの中風の人の癒やし以来つきまとい、このような質問をして様子をうかがっていました。ですからこのたとえの、古い葡萄酒と古い皮袋とは何を指すかがポイントになります。

 パリサイ人らにとって、断食は<施し><祈り>に並ぶ重要な宗教的な行いでした。断食をしないイエス様について、バプテスマのヨハネの弟子たちですら疑問に思っていたのです。これは花婿として来られたイエスのメシア性を理解せず、古い律法の枠内でしか理解できなかった彼らの限界を示しているのです。イエスは十字架の血による新しい葡萄酒であり、律法の縄目を解き開き、天への道を開く預言の成就、花婿たるメシアでした。新しい皮袋、新しい律法としてイエス様の説く福音を受けなければならないのです。

 しかしパリサイ人たちは神のことばをタルムード(口伝律法とその解説)などの人間的な理解に置き換え、これを金科玉条とし、ただ形式的に守ろうとするだけであって、イエスの神性、預言の成就をないがしろにしました。ですから古い酒と古い皮袋とは彼等のことであり、キリストの福音を受け入れられずに滅ぶたとえなのです。

 イエスの到来はメシアの時代の到来、喜びの婚宴の始まりでした。悟れなかったパリサイ人は、この場で何か衝突は起こすことはありませんでした。しかし、一言で言えばこれはイエス様の宣戦布告です。国の権力者たちと、民衆しか後ろ盾がない田舎出の一人のラビとその弟子たちの戦い、その後、すべては神のロードマップ通りに進んで行くのでした。

 新しい葡萄酒は発酵し続けます。今日的な課題として、私たちがいつまでも新しい葡萄酒を受け続け、その入れ物となるためには何が必要でしょうか。神はいつの時代でも不変であり、永遠です。それならば私たちに必要なことは「新生」です。私たちは罪深く、自己中心であって、自分の力で神に自分を捧げたり、聖化にあずかることは出来ません。己の真実を知って悔い改め、また神の絶大な偉大さ、その愛とあわれみを知った時、飢え渇きを持って新生を待ち望むことができます。神によって与えられる新しい霊と、その聖霊が自分の主として従い、愛し、進んで神の御心だけを行う者として、新しい人生を歩む者とされましょう。まだの方は共に節に祈り求めましょう。新しき皮袋へと。